落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに保存してあります。 2012.12.4 故障していた足の回復の度合いとテニスをやりたいという欲求の狭間で悶々とした日を送っていました。それは僕が健康であることの証で、テニスを出来ることが当たり前に感じていることを再考させてくれる出来事でした。人は贅沢なものだと思います。五体が揃っていればこんなに幸せなことはないのに、軽くても障害がある人はそれはそれは大変な思いをされていることです。 2012.11.29 一昨日から猛烈な寒波がやってきて北海道では大停電が起こっています。人の力は自然には及ばないものでしょうか?自然をコントロールすることなどは夢なのでしょうか?人は自然を改造し、知恵を絞って繁栄してきました。地域性はあってもまだ人口は増加しています。 2012.11.8 60歳が近づくと色々と気ぜわしくなってきます。また、先日は30年ぶりに中学校の同窓会の案内が地元の旧友から届きました。懐かしい幹事の名前と旧姓とある女性の友人の当時の顔が浮かんできます。その件で今は静岡在住の親友からも電話がありました。何を差し置いても行こうということです。私もその日は日韓交流会テニス大会の埼玉、栃木開催日です。今の友人ももちろん大切ですから、一日は出席することにしています。ただやはりこの旧知達は今度はいつあえるか知れない人たちです。きっと無理をしても帰ってくる人が多いことでしょう。彼らと会っておかなければいけないのではないでしょうか?人はなぜ昔を思い出すのでしょう。そしてそれはかなり悪い思い出もあるのですけど、それさえもが美しく思えるのは何故なのでしょう。いやでいやで仕方の無かった先生や悪くて近寄るのも憚られたいじめっ子の顔が浮かんできます。会って話をしたいとまでは思わずとも何となく遠目に古いフィルムを見るように覗いてみたいと思います。色んな記憶が一つのパッケージとして思い出という一冊のアルバムにファイリングされているのでしょうか。自分にとって都合の悪い記憶は美化されて昇華されていい記憶へとすり替わっているかも知れません。人は都合の良い生き物です。自分の存在が妥当性を帯びるためには周囲は常に修正されなくてはならないものでしょう。それが記憶の浄化作用というものなのでしょうか・・。 とにかく旧知との再開に胸を躍らせている今日この頃なのです。 2012.11.19 昨日は八尾選手権大会でした。男子は来年の全日本インドアの選考会を今日やってますので大阪のbestとまではいかないですが、その次くらいのメンバーが集まりました。試合はそれほど多くは見ていません。決勝を途中まで見ました。技術はかなりのものを皆持っていると思います。僕たちが一本では太刀打ちできないくらいの激しさがあります。しかし、心に残らないのは何故でしょう。次も見てみたいな・面白いなと思えないのは何故でしょう。試合をしている中に感動がないのです。次の一本を取るためにこんな球を打った、こんな布石を打っておいた・・・という予測ができない試合・・それは何なんでしょう。テニスは上手いけどただパターンにあるやり方をやっているだけ。いわゆる練習問題の回答を覚えていたものを書き写すだけです。それは実力でもなんでもない刷り込みをされた犬のよだれと同じことです。皆技術的にはうまいと思います。でも個人が持っている強さや何が何でも食らいついていくという貪欲さ、ハングリー精神が欠落しているんですね。だから魂のない人形のようなテニスです。勝った人には悪いけど、楽しいのかい?と聞いてしまいそうな一般男子皆さんのテニスでした。 技術は心に裏打ちされているものだと思っています。サッカーが今もてはやされている。それは心を一つにしているという一体感、守るのも必死です。攻めるのも必死でいくつかのパターンを駆使して、一瞬の判断でそれらのいくつかのうちの最もいいものを選択して実行する。守る方もそれらを先読みしてガードする。それから先は個人の技術力、判断力、決断力の世界です。ゲームを作る人の能力によって攻撃パターンは決まります。ミッドフィルダーは要です。そしてフォワードとミッドフィルダーの中間的な役割をするトップ下は最近の花形で最も大切なポジションと言ってもいいではないでしょうか?近代サッカーは全員攻撃全員防御と言われるくらいとなりあったポジションのプレーは確実にこなせなければなりません。ボーダーラインが無くなりつつあるのです。 ソフトテニスに目を向ければ、日本ルールのような前後衛のスペシャリストのペアによる試合が旧国際ルールによって変革されました。本質的に欠陥の多かったこのルールはそれでも10年続きましたが、現在のような競技としては矛盾のないモノに進歩しました。旧国際ルールの功績は前後衛という固定概念がプレーヤーや指導者の頭から消していったということです。私には今のルールの方がテニスとしては自然でいいと思います。二人のプレーヤーが皆同じようにできることが望ましいが、決してそれに縛られることもなく得意なパターンを選択できるのがいいです。どこに有利な点があり、どこが不利な位置関係なのかそれも考えることができるのです。相手プレーヤーの力量や気象条件だけでなく色んなことが今は未だ考えていない人が多いのではないでしょうか? 我々シニアプレーヤーは日本ルール、旧国際ルール、現行ルールの3つを経験してきていますが、殆どの人は日本ルールの中で育ったものが基本になっています。ですからその形になったときは十分な力を発揮しますが、そこに行くまでの中間的なかたちの段階で殆ど失点してしまいます。つまり前衛がサーブをして前につくこの2ポイントが現在は要となっています。ローボレーやサーブのいい前衛が勝ち上がってるのは至極当然のことと言えます。 しかし、ここには後衛が前衛のプレーができないということが見逃されているのです。そして前衛がゲーム展開をできるほどストローク力が無いということがあるのです。 シニアの前後衛がお互いのポジションの練習をもっとやればきっともっと強いペアが出てくることでしょう。そういったことを皆さんはきっと理解しているのです。それは間違いないのですけど、その技術を習得するよりも今の技術を伸ばそうとか、どうせできないとか半分は諦めているのかもしれませんね。私はここ3年ほど東山さんと八尾の中の試合や大阪府の主催の試合は基本後衛ポジションで試合に臨んでいます。なかなか試合に形になるまでになりませんでした。最初に一度出たときは、何がなんだか分からないけれどもただ一生懸命打つだけでしたが大阪の決勝まで行けたので甘く見ていたのかもしれません。しかしあれから数年、リーグを勝ち上がることがとても難しくなりました。全てを攻撃することもリスクが大きく、かといって打ちやすいボールを返すだけでは後衛にはかないません。もっと戦い方を研究すべきなのでしょう。ストロークがやっと試合の中でできるようになりました。でもトップ打ちでポイントをとることはまだできないのです。試合の中でミスなく有効打を何本も打っていくことはまだできません。前衛をやっているだけでは決して分かることがなかったことです。真剣に試合の中でいかにキッチリとしたプレーができるのか・・それは前後衛のお互いの立場になってみればよく分かることでしょう。なぜ前衛が易しい目の前のボールを空振りしたりケットしたりするのか・・それは易しいボールは色んなことを考えてしまうので却って体が反射的に動かないのでミスをしてしまうのです。また後衛は練習ゲームで前衛をして簡単だねとよく言いますが、後衛が前衛のポジションで真剣に相手後衛の鬼のような形相から繰り出されるアタックボールを止めようと目を見開いて前に進むことができるかということととは違いますね。本気モードでは後衛はまず取れないですが、前衛は確率1/2では確実に取ることができます。後衛も本当は前衛のプレーが真剣にできるように練習してもらいたいとは思うものですけど難しいのでしょうね。究極はダブル前衛・・というか二人共ストローク、ネットプレーともに自由にこなせるペアが最も強いでしょう。そうなるように練習を積み重ねていくものです。 2012.11.17 全国各地で天候が悪かった今日ですが、朝奈良の橿原方向を見ると、どうも雨が降っていない雰囲気なので出かけていきました。大阪と奈良の県境にある葛城山付近のトンネルを抜けると空は明るく、これはできる!と確信した瞬間でした。コートに着くと4人しかいません。そうですね、この天気予報では集まってくる方がオカシイ集団でしょう。でもちゃんと小早川・中村・藤岡さんはいます。着いたのが10時過ぎでしたがどうやら9時ころからやっていたと聞きます。凄いですね。いつもは基本練習をするのですけど30分ほどラリーをしたあとゲームをしようかということになりました。橿原クラブにはここ一ヶ月ほど来れませんでした。試合が多く、合宿もその間に二つもありましたので。 久しぶりにやる試合は緊張感もありましたが、途中で少しふくらはぎに違和感が出て動きを制限したら0-2から追いつかれ3-2と逆転。ファイナルまで追いついたのですが勝ちきれませんでした。中村選手の戦法にまだ克服できない我々がいます。しかしこれからです。僕たちは進歩してみせます。 毎年この時期になるとペアが組み替えられる時期です。大きなペアの変動ももうすでに聞いているものもありますし、これからのものもあります。ペアは何年もかけて作られるものです。そして成長していくものです。ですからいい技術の前後衛が二人組んでもなかなかすぐには勝ちきれませんし、却って・違う!・と一回で二度と組まない人たちも多いです。もういい大人ですからお互いが持っているものも環境も違います。育ってきたところも違いますからうまくいかないのは当たり前なんですけどね。でも割と皆簡単にくっついたり離れたり・・もっと話をしたらいいのでは・・・とも思います。 ただ、私も来年の全日本は新開さんと組み60のクラスでチャレンジすることにしました。随分と悩みました。今のスタイルも普通のペアから見ればおかしな事です。西日本は新開さんと、そして全日本は小早川さんとです。しかしこうならざるを得なかった必然性があったのだとご理解ください。こういった形も長く続けているとそれなりにそうなのだと認知されるようになります。ただ一つ言えることは最終目標の日本一を目指すことは同時に二人とはできないということです。私は我儘を言いました。一つ下の小早川さんは快くいいですよと受けてくださいましたが、本当は申し訳ないなという気持ちで一杯です。ただ新開さんとの約束は来年一度だけです。私も彼にはすまないなといつも思っていました。しかしたった一度のチャンスをものに出きるべく彼と来年全日本の舞台に立つことを決意しました。これからは私と新開氏のチャレンジが始まります。いくつかの目標を今年は立てて実行するように着実に消化していきます。60のクラスはとんでもない人たちの巣窟です。東は袴田・菅野/木本・金澤/小澤・鈴木、東は吉野・東/常久・高田/福谷・林/大矢・清水その他我々と同年代がゴッソリと60に入ります。どこかで練習を重ね、定年と同時にやり始めている人がいるかもしれません。60は不確定なクラスなのです。しかし負けません。もちろん自分にです。 2012.10.18 後衛と前衛について考えること。 今年も八尾の春秋の市民大会、大阪府の府民・社会人・選手権とは東山さんと組みWFというかどちらも前衛後衛をやるスタイルで試合に出ています。これについて色々言われるとは以前に書いたとおりですが、我々は極めて真面目に取り組んでいます。そして勝てば成長を裏付け、負ければまだそのテニスが弱いのだと言うことを確認しています。テニスは勝負事ですから、勝ち負けはその技術・精神状態・体力の総合力の勝負となります。ポイントが少なく一本も疎かにできないこの競技は、時には力のないものも勝つことがあります。技術的に上のものでもリードされているというプレッシャーの勝てずミスをして負けてしまうものです。また、ポイントで奇跡の一本が出るかも知れません。ネットインで決まってしまうかも知れません。不幸な偶然を招かないようにすることも大切です。そういったことも皆含めて、取りこぼし無く一日の5~7試合を勝ち続けたものがチャンピオンとなるのです。言ってみれば気を抜くことなどできない競技と言えます。チャンスを作らせないようにして、相手のミスがあればそこを自分たちの最大のチャンスとしてポイントをもぎ取っていく・その強さが心身共に求められる競技で一日終わればどっと疲れてしまいます。 ソフトテニスをやっているといつも感じてきていることですが、専業化している前衛では8割以上が自分の意志ではないパートナーの考えに基づいた配球でゲームが進みます。後衛は逆に殆どを自分の意志でボールを打ち、返球する場所も攻めるタイミングも繋ぐボールにするか攻めにはいるかなどを自由に選択できます。そしてその通りに実行します。まあ、相手が巧く殆ど凌ぎに徹しなくてはならないこともありますが・・・。 後衛をやって思うこと、前衛だけでは決してわからないことは、何で簡単なボールが打ち込めないかということです。サーブは思い切り打てます。練習通りにできるプレーはこれくらいでしょうか?割と昔からサーブに自信のあった僕は、もちろん練習も人一倍しましたので、サーブもエースを取りに行きます。前衛はそんなことを考えなくていいといいますが、それなら後衛はそういう気でやっているのか?といえば殆どが無難に入れます。昔組んでいた高宮選手はノータッチエースを狙いに行ってました。彼が最も特異とするプレーで無いと勝ち上がれない。だからダブルフォールトのリスクはあっても、それ以上に技術を追求して一本のサーブを70%以上の確率で入れるようにしたのです。もちろん試合の中で。そうすれば0.7×0.7=0.49で2本同じ速さで打って、入る確率は49%・ほぼ2本に1本は入る確率です。50本に1本くらいの割合でダブルフォールトをするかも知れませんが、殆ど無いと言っていいでしょう。それくらい練習をすればいいと思います。テニスはスピードとコントロールを追求するスポーツです。コントロールだけでは面白くないでしょう。シニアはシニアでもっと追求するべきものがあると思います。サーブ以外には全て相手との駆け引きでストロークが行われます。速いボールの展開になれば割と体が対応し体も起きたままで打てるので前衛も見やすく、取られるか抜けるか・あるいはかわせるかはそんなに難しくはありません。ただ非常に厳しく速いボールが来た場合は凌ぐのが精一杯です。何球もトップ打ちを打ち続ける人は凄いなあと思う以外ありません。そんなことは今の僕には決して出来ないからです。サービスなどで相手がゆっくりとしたロブを打たざる得ない場合があります。その時前に詰めてトップ打ちでポイントにすればいいのですが、却って打てないのです。色んなことを考えてしまいます。前衛が出てきたらどうするかとかこんなチャンスボールをミスしたらなんていわれるだろうかとか、流れが変わってしまうんじゃないかとか・・・○△*¥#$※※・・・結局打てなくて繋いだと思ったらバックアウトしたり、イージーボールを送って前衛に取られたり・・一挙にそこから打てなくなって逆転をされたりすることが今年は多かったです。このスタイルを始めた頃は打つしかないですから、何も考えずに打って勝てたりもしました。ただ解ってくると、きれいに勝つ・・・というのではないですけど、余裕がある分考えすぎてしまいます。更にそれを乗り越えないと勝てないのでしょうね。先日、箕面市民大会で福谷さんとそんな話をしました。福谷さんのような何でも出来る後衛さんでも迷うのだといわれます。以前箕面市の掲示板に・何があっても、どんな状況でも前衛が出てこようが、迷わずに打ち切ることが出来るように練習する・と書かれていました。以前は前衛の頭でその意味を理解しました。今は少し違って、同感も少し入りながら理解することが出来ます。一番簡単なボールをミス無く思ったように打ちきることが出来ればそれは頂点への一歩近づいたことに他ならないでしょう。 やはり後衛と前衛の決定的な違いは、全てのボールを最初から最後まで見ていられるか・半分しか見て無いかでしょう。後衛は全ての状況が流れるように全て見えます。相手ペアの考えも自分の前衛の気持ちもその動きから判断しながらテニスをすることが出来ます。もちろん、なんにも見えなくなって負けることは多いと思います。負ける時はそんなものです。しかし、たとえそうであってもボールが自分の視界から消え去ることはありません。相手のコートに返ったボールで次の行動を起こすことが出来る時間が長くあります。また返ってくるボールへの応対時間も前衛の倍以上はあります。予測も必要ですが、見てから動いても何とか間に合う・・そこが落とし穴なんですけどね。本当は自分で組み立てた通りに次のボールを予測して先回りしておけばきっともっと余裕を持ってテニスが出来ることでしょう。相手が何をするだろうと考えながらテニスをすると全て後手に回ります。相手の好きに打たれるなら、先手を取るなんて出来ないですよね。後衛はいかに相手より先手を取れるように配球するかを全面に押し出さないと試合には勝てないと思います。 前衛は、半分しかボールが見えず自分の後ろに行ったボールを相手の前衛の目の動きで後衛の打球方向を判断して動きます。でないと後ろに目が付いているのか?というくらいの動きは出来ないです。ただ、その時も自分の後衛にはパターンがあるので、この辺に打つだろうという予測をして動いてます。ですから、自分の後衛が弱気になったりいつもと違うなというのは前衛にはすぐ解るのです。それぐらい勘を働かさなければやっていけないのです。前衛は後衛が考えた配球に従ってここは出た方が良い、ここは守った方が良いと瞬時に判断するものですから。 全部が当たればいいですが、それぐらい集中してやっているつもりでも実際は半分くらいしか当たらないのです。それだけギリギリのところでお互い凌ぎを削ってますし、綱引きをやっているのです。。後衛が前衛に取らせてやろうとか、繋いどくから取ってくれとか思うのも間違いです。優位にボールを支配してチャンスを作るのが後衛です。ただ何時も攻められるものではないですね。相手も同じことをやってきます。ですからこちらが攻められる状態になるまでは前衛もやたらポイントを欲しがらないことです。いくらでも攻めれるボールを取りに行っては抜いて下さいと言ってるようなものです。我慢すべきは我慢。攻めるときは一気にパターンを作っておいて攻めきる。それが前衛と後衛でしょう。ペアリングも信頼しなければ成り立ちません。ただ後衛の凌げる能力を・限界かな・前衛は知っておかねばなりません。同時に後衛は前衛の強いところ弱いところ出るとか守るの癖を知っておかなければなりません。お互いが完璧とは有り得ないことです。己を知り敵を知れば百戦危うからず、といいます。研究は常にやるべきものでしょうね。 2012.10.17 今、世の中では次々と色んな事件が起こっています。国の尊厳、日本という国について考えさせられます。一つは、竹島とか尖閣とか北は北方四島問題・・領土に関することですね。隣国とはいつも国境に問題があります。日本だけでなく、全ての国の問題でしょう。国境にすむ人たちはいつも戦いの場となり遠い本土の犠牲を強いられてきました。今回も沖縄で米兵による婦女暴行事件が起こり、折りしもオスプレー問題で沖縄が揺れている時このような低次元の問題が起きるのは、米海兵隊の教育の甘さや大国主義の横暴さを露呈しているとしか思えません。日本に出入国の許可申請もパスポートも必要ない超法的措置で国際上の基本ルールが超越されているのです。それでいて日本の国で町への外出は自由となっているのは酷いですね。誰かわからない人たちがウロウロしていることを考えると犯罪を起こし基地に逃げ帰ればそこは治外法権の地であると・・そうして沖縄は今まで何度となくこの類の事件を甘受してきたのです。統計だと四年に1件の割合で発生しています。人がやった罪には納得できる裁きが必要ですし、そもそも彼らがいなければこの問題は起きなかった。だから排除しろと。。それもわかります。ただ、国防や中国台湾韓国北朝鮮などの複雑な問題を抱えている今、彼らの力なしに均衡を保つことは不可能でしょう。問題は、沖縄のルールに従って彼らが生活すれば良いだけのことです。その当たり前のことから逸脱し、悪事を無かったことにしてしまう人として許せない行為が沖縄を怒らせているのです。長年にわたる不平等感を持っているために問題があるとそれが全てであるように報道されますが、実態は違うでしょう。沖縄の何分の一かを占める人々は現在基地を共に生きています。基地が無くなれば直ちに生活に困る人も出てきます。それも半端な数ではありません。経済を揺るがすだけのものです。だから、我慢しろではなく、一つ一つ権利を回復していかなければなりません。それを成し遂げることが国と国とのつき合いで外交です。また地方と中央の信頼関係でもあるのです。もしもそれができなければ、今の政権も不平等な条約に屈したもので、偉そうにしていた自民党が彼らの庇護の下に力を誇示していたように、未だ主権が回復されているとは言えません。沖縄の怒りは日本のものです。決して沖縄を孤立させてはなりません。沖縄を切り捨ててもなりません。もしそんなことをすれば、沖縄は第2の尖閣となっていくでしょう。強大な力と数を持って他国を支配していこうとする大国の暴挙を許さず均衡を保っていくにはどうするのかをもっとよく考えて欲しいものです。 2012.10.15 昨日は箕面の市民大会でした。最近では一般市民で大会に参加する人は少なくなってきています。これはどんなスポーツでも言えることです。まあ、良いプレーをしたいが練習もしなくてできるはず無いと思っている人が多いこと。またやっている人とかなりの力の差があるので面白くないなど色々でしょう。そんなわけで今はどこの大会もオープン化が盛んになってきています。箕面市民大会も山森さんの選手集めでかなりのレベルの高さを誇っています。箕面市は他市から選手を呼び自市選手の実力を上げるための一環として行っています。良いことだと私は思っています。 選抜で16ペアとのこと。なかなかの選手達が集まっています。箕面市は大阪府の北部で兵庫、京都にも馴染みの人たちが出てきます。そこでいつもは対戦しないチームが出てきますのでその人達とやれるのも楽しみの一つです。 今回愛媛から長期出張で大阪に来られている鈴木さんと組みました。彼は吹田の松浦さんの後輩です、テニスの強い学校なのでしょう。彼も綺麗なフォームでフォアバック共に打ち込んでいきます。自分でも言ってるように少しスロースターターだから1回戦を突破するのが山なのでしょう。強打者の宿命といえば宿命です。最初は真ん中に当たるのが少なかったように思いますが、試合を重ねる毎にボールが走ってきました。トーナメントに入ってからは危なげなく試合ができました。次第に打つコースも分かり、もう少し明るく良いコンディションなら決勝も分からなかったなと思います。今日の収穫は、レシーブがしっかりと打てるようになったことです。この一年悩みました。打てないことがこんなにも自分のテニスを小さくしてしまうんだと今改めて思います。先々週、常久さんに・楽しくないように見える・といわれたことが心に引っかかっていました。それは何故なんだろう、技術の問題でなく心の問題、それなら意欲を出して攻めてみようと割り切ることだと思ったのです。昨日橿原の練習で少し攻め気で行ってみました。まだ感触は不十分でしたが少し兆しが見えました。今日は1本目から打ちに行きました。こんなにも簡単にポイントが取れる・こんなにも体がボールに乗っていける・今まで悩んでいたのはなんだったんだろう!と思うくらいの感触が戻ってきたのでした。それが自分の原点です。ストロークができなければプレーが半分もできないのが自分です。それが分かっていたのに怠慢だったかも知れません。何気ない他人の一言が自分を覚醒させてくれることもあるのです。今回は常久さんに感謝します。なんとか決勝に行けました。準決勝の南部さんのできはどう見ても福谷さんとやったときとは違っていました。斑があることが南部さんの欠点でしょう。良いときは実に素晴らしいテニスなのですが。決勝は笹部・本林ペア。大柄の若い後衛さんです。ボールも速くなかなか厳しいし日暮れで消えてしまいます。ガンガン打たれて2-④で負けました。まあまた頑張りましょう。箕面市の皆様、お世話になりました。 2012.10.10 昔でいえば体育の日ですが、晴れ、さすがに晴の特異日です。安定した気候とさわやかな風がやっぱり明きは良いものだと思わせてくれます。ただ、昼間は少々暑いですが・・。10/6-8はで連休でした。各地は行楽の人たちで一杯だったでしょうが、私は岡山・福知山・大阪と3連戦でテニス三昧でした。その間、東北の支援基金を得るためのTシャツ販売をしながらでしたので、結構疲れました。たくさんの方々の善意を頂いて帰った3日間でありました。 試合については10/6玉島真田杯;このところ試合に入って先行はするけれども締め切れないで負けていた新開・高原でしたが、この日は新開氏の調子がすこぶる良いように見えました。今までのように変に気負って打ちすぎることもなく自滅の不安を感じることなくゲームが進んでいきました。打ちにくいといっていた原田さんのボールもきれいにコントロールしています。勝負は井場・松村ペアとの試合でした。1-2とリードされましたが、この試合の前に常久さんに、少し元気がないように最近感じる・・と言われました。前はコートで対すると気迫があったが怖さが無くなってるよ・・と。そうなのかも知れません。以前はあまり打たれなかったセンターを平気で打ってくる人もいます。知らない相手ならわかりますが、知っていて打たれるのはそこに意識が無いことを見透かされていたのでしょう。前衛はポイントをするだけが仕事ではありません。それ以前に、打つ範囲を狭めてやることが一番の仕事なんです・・と言っていたのは僕ですね。ハッと思い出して、そうだな、威圧することを考えよう・・と思い立って、声を出しプレーも少し大げさなくらいやってみることにしました。すると、急に井場氏のボールに勢いが無くなったような感じです。コート場でネットを挟んで気迫の風向きが確かにこちらからあちらに変わったような気がします。甘いボールが上がってきたり、西日本の時に感じた井場氏の前に押し込んでくるようなストロークではありませんでした。3-2とその勢いで逆転。そのまま行くかと思われましたが、3-3にここからも一進一退でしたが、安定していた新開氏のボールにミスが無く押し切ることができました。今日のテニスができるなら新開氏は強いです。僕も安心して前衛の仕事に専念できます。決勝はリーグで一度勝った原田・藤村ペアが準決勝で黒田・片山ペアを下して上がってきました。決勝も同じように1-2となりました。同じ相手にリーグで勝って決勝で負けるのは良くあることです。上がってくるのは次第に調子が出ている証拠です。ここも気を取り直して2-2へ・・とここで相手の様子がおかしい。原田選手の足が攣ったようです。原田選手はスポーツ万能。高校時代はハンドボールで国体選手、テニスは柔剛取り合わせた多彩なテニスと足を活かした拾いまくるテニスで相手の根気を奪います。彼の足が攣るのは信じられないですが、やはり多くの試合をやって限界かも知れません。僕たちより一試合多いので6試合こなしているはずです。足にも疲れが出たでしょう。10分間休憩しましたが、同じようには走れません。体調の悪い選手には気を遣うものですが、かえって負けたりします。やはり勝負事ですから、最も相手の弱点をついて行くべきなんです。それでこそ相手を対等に見るスポーツマンシップと言えるでしょう。相手にあわせたテニスをやるのは、気持ちが優しいから・・ではなく、相手に対して失礼な行為だと思います。全力でパーフェクトで勝つくらいでやってこそ真のスポーツマンと言えるでしょう。逆に言えば、攣ったら直ちに棄権することです。それが対等に試合できないものの儀礼だとも思います。2-2から再開されましたが、新開氏は容赦なくショートボールとロブを使い分け簡単に終わりました。仕方がないですね。体力も実力のうちです。久々の新開氏と組んでの優勝でした。今日くらいのテニスができれば、きっと西日本も全日本も獲れていたでしょう。それくらい立派なテニスだと感じた今日の新開さんでした。 非常に長引いた試合でした。直ちに福知山に向かいます。いつもは倉敷で温泉に入って行くのですが、今日は少し長い工程で元気な内に現地に入りたいと考えました。新開氏も明日は信州へツアーの仕事なので早めに帰ることとなりました。途中、雨が降りました・・・縦貫道はかなり降っていますが舞鶴道にはいるとピタッと止みました。明日は晴れて欲しいものです。 10/7福知山では夜雨が降ったようです。会場では一般男子からシニア3部まで一堂に会する大きな大会です。前日に実業団の大会があり、いつも東芝姫路やワタキューセイモアの良い選手達のプレーが見られるのもこの大会の良いところです。一般女子の東芝・ワタキュ-の選手は皆身長もでかいですね。アスリートという感じです。昔、小さい選手が多かったのですが、後衛も大柄な選手が増えてきました。鋭い振りとボールの速さに圧倒されます。見ていて感心しますね。頼むぜ、ニッポン!という感じですかね。 黒田選手と今日は組みます。昨日の敵は今日の友・・ではないですけど、ペアが違うと気持ちもまた変わります。ボールが速いですね。ボールも速いんですが、タイミングが早い・・つまり殆どライジングです。実は前衛は後衛が打つタイミングを背中ではかりながらスタートポジションを決めます。そこから相手にあわせて一歩前に行くかスマッシュを取るかを判断するのです。この位置決めができないと相手のボールが易しくても面があわなかったりラケットの返しが遅かったりでミスが出やすいのです。後衛の呼吸を読んで合うようになるのには結構時間が必要です。大体の人はある範囲内で収まっているのですが、黒田さんのような極端にタイミングも打球も速い人は見ていないと難しいものです。今回も予選の2試合は黒田氏の一方的な打ち勝ちで手がつけられないくらいでした。だから却って試合の中でのタイミングが取れなかったとも言えます。少し不安を感じながらトーナメントに進んだことは事実です。付いて行っていないなと感じていたからです。形では完勝でも、気持ちは違っていました。準々決勝は谷本・小森ペアです。谷本選手はどんなボールでも繋ぐ能力が高く打つ時はライジングでタイミング良くスッと打ってきます。先日の全日本の篠辺選手との試合は印象に深いところです。黒田選手は全開で打っていきます。僕の方がイージーミスが出ます。タイミングがやはり少し微妙にずれています。前だけを見てプレーした昨日と違い今日は自分との戦いです。それだけボールへの対応が難しかったということです。谷本選手のボールも一定ではありません。少しスピードを変えたり高さを変えたりでミスを誘う打ち方です。何とも歯がゆいミスが続きます。それを必死で黒田氏が取り返すのですけど、なかなかリードする展開になりません。追いついては離され、追いついては離されの連続です。最後まで自分のペースがつかめないまま終わってしまいました。まだまだ未熟です。この試合は十分勝てるものでした。黒田さんには申し訳ないことです。 3連休の真ん中で移動は少ないだろうと思いました。その上雨で2時間延長となったので終了したのはpm7:00。陽はとっぷりと落ちて三段池コートは寒々としてきました。決勝は中村・鶴岡④-1福谷・宮浦。福谷さんの凌ぎもすごいものがありますが、中村選手も最後まで打ち切りました。それが全日本でなぜできないか・・それが魔物が住んでる全日本のコートたる所以でしょう。 2012.10.5 今日は快晴です。台風がここのところ非常に多く発生し、その上大型で日本列島に接近あるいは上陸しています。沖縄は3週連続大型台風が通過して水害、風害で大変です。また東北の緩んでいる地面への大量の雨は新たな追加の災害をもたらすのでは・と心配します。 2012.9.30 大船渡に行ってもはや40日以上の日が過ぎました。少しずつ書いていたことや思いなどを公開できないでいましたが、本日雨天で時間が取れたので見直して8.31に掲載しました。。公開が前後して読みづらいでしょうがご容赦下さい。もう少し続きがありますがまた載せます。 本日は大型台風17号の通過で朝から夜まで一日中大気のざわついた1日でした。奈良クラブ主催の西日本奈良大会が開催予定でしたが、昼過ぎから雨が降るとのことで延期となりました。どうやら年明け年度内に行われるようです。どこもテニスコートの争奪戦は厳しく、ソフトテニス王国ならといえども自由にはならない事情があるようです。おかげで久々にゆっくりとすることができました。休むと体が悲鳴を上げているのが良く分かります。普段はそんなことはないのに、昼寝を沢山してしまいました。これも大切な恵みと思えば良いのでしょう。ただ台風被害に遭われた方々には申し訳ない発言になってしまいますが・・ 2012.9.27 急激に温度が下がり朝晩はブランケットが必要です。これからまた厳しい冬がやってくるのでしょうか?夏が一週間前に終わった感じです。本当に夏と冬しかない日本になってしまうのでしょうか・・と。東日本大震災を過去の出来事としないで未来への知の財産・教示と捉えていこうという行動が各地で行われつつあります。ただ、津波が起こった時そのことに対処する避難場所や経路などの確保はすぐさま手をつけられ始めました。しかし、この日本で最も今恐れなくてはならない原子力についての安全確保はもはや忘れ去られているかのような印象を受けます。政府が原子力の大飯再稼働を決めた瞬間で関電その他の禊ぎは終わったとでもいうのでしょうか?そうではないですね。民主党政権は2030年代に原発ゼロに向ける努力をする・・?などという解ったようなわからん発言をしています。一体今できること、今の技術ではいつまでに原発ゼロにすることができるのか・新しい技術ができた場合はこうだとか、何の具体策も出てこない・・あり得ないでしょう。火力発電の復活・・コストがかかりすぎる。安く買う方法はないのですか?特定の国への技術的な供与によって原油を安く輸入する方策は取れないのですか?世界に放射能をまき散らすおそれのある原発を廃炉にするため石油に転嫁したい(代替エネルギーが見つかるまで・・その整備が整うまで)ということで外交は進められないのでしょうか? あるいは今は家庭用に太陽光発電を推進していますが、今ある戸建て住宅と集合住宅に全て設置がなされた場合、総発電量はいくらになるのでしょう?そうなった場合家庭への電力が何%削減できるのでしょうか?そうなった場合、原発は何基は廃炉にできるのでしょうか?設置費用に現在の補助よりももっと多額の補助費用を捻出してはいかがでしょう。少なくとも数十万円で設置できるならもっと建設が進むでしょう。その試算は聞いたことがないのですが。昨年の節電は各家庭では15~20%節電できたようです。電気のバブルも確実に起こっていたのです。電気機器の節電対策品の開発や人間が手をかけないで自然に効率よく節電するプログラムを組み込んだ機器や・・いくらでも考えられることはあるはずです。そんな努力が産業界や政界にあるとは思えません。規制をしなければ野放図になってしまう人の気質は解りすぎるほど皆解っているでしょう。だからこそ、人の手の入らないようにすることに注力をしなくてはイカンのではないでしょうか? 我々は冬が近づくと東北の被災地に暖かいものの支援をしてあげなくてはと考えます。その為には資金も要ります。今まで支援ワッペンを皆さんに購入して頂き多くのお金が集まりました。ざっと5000枚、そのうち7割が支援に回せるお金です。180万円若の支援金でたくさんの子供達に、テニスの備品・ボール・ウエア・冬物のジャージ上下などを送ることができました。本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。一年半経って、普通の災害でしたらもはや復旧が終わりに近づき昔話になり始める頃です。しかし、この夏訪問した岩手県の大船渡・陸前高田を見た時は、とんでもない話だということに気がつきました。町が一つ無くなってしまった陸前高田市は広い荒野にまだ殆ど手つかずの状態です。大船渡市は地盤沈下した土地が再興するのにどのようにするか考えあぐねているようでした。少しずつ機械が入り土地も基礎に手が入っているところも見られましたが、大部分はまだがれきの片づけが一段落ついたかな・・というところでした。陸前高田の1中でテニスの支援イベントを開催しました。小中学生併せて180名、父兄、コーチを合わせると230名近くの方々が集まりました。この子達を暖かく見守っているという印象で親という字は「立木の横でそっと見ている」というものだ・ということを改めて感じさせられるものでした。実直な皆さんの心を感じることができた一日でした。無くしていたものを思い出したような、私たちが子供の頃、両親達が参観日や運動会でそっと見ていてくれたことを思い出したのは私だけだったでしょうか? その中学校には立派なグランドから区切られたテニスコートが3面ありました。しかし、広いグランドは全て仮設住宅が一杯に建ち並んでいます。地元の人に聞くと「どこの小中学校もこんな状況ですよ」とのこと。「大船渡は平らな土地がないからねえ・・」といわれます。震災後いち早くUSAから支援の住居の提供などの話があったそうです。しかしそれを置いておく場所がない!そこでやむなく断ったとのこと。子供達は体育などは殆どできません。テニスコートはこの学校だけが市内で残されたそうです。大会を行うためです。外の学校では野球だけ、また他の学校ではサッカーのため・・などなど、子供達のストレスは本当に大きなものがあります。復興どころか復旧していないのだ!というのが正直な印象です。ですから今しばらくは東北に支援を続けていきたいと思います。震災は化石になっているのではないのだということを皆さんに知って頂きたいと共に、少しで良いですから東北の子供達がテニスをしている時だけでも笑って大声で走り回ってもらいたいという気持ちに賛同して頂きたいのです。今回、Tシャツを作りました。皆さんとの一体感というにはおこがましいですが、私たちの気持ちを込めて作ったと思っています。どうか皆さんのご支援を御願いします。そしてもしもできるなら被災地に行って一緒になって1日を共にしていただければこんなに嬉しいことはありません。 2012.9.23 彼岸の中日になろうとしてますけどまだ暑い日本列島です。大きな天候の崩れはないのでテニスマンにとっては嬉しいことです。ローカルの大会も各地で行われスポーツの秋と運動会なども始まる頃ですね。 ただ前日夜から降り始めた雨が朝も残りできるかなあと心配な状況です。少し待っていると雲が切れ始めました。天気予報通り昼頃からはどうやらできそうです。やっと10時になって八尾市民大会が開催されました。近郊都市での市民大会が開催されているので一般男子やシニア2部などいつも常連で参加願っている方々が来られません。しかしそれなりに各クラスの役員の人員集めがありまあまあのメンバーが集まりました。特に我々の参加しているシニア1部(45歳以上)は良いメンバーが力を存分に出し、今までよりも一段と良い大会になったように感じました。目玉は福谷・蔀ペアです。西日本60チャンプの福谷さん、1週間前の全日本55のチャンプ蔀さんとのペアは豪華でしかも大型の素晴らしいペアです。このペアにできるだけ多くの人が挑戦できるように考えました。まずブロック別にリーグ戦を行い、予選はトーナメントの位置決めとします。全チームがトーナメントに出られますが、力がなければ悪い一に行きますので皆力は抜きません。そしてトーナメントですので誰にでも優勝のチャンスがあります。1位リーグ、2,3位リーグとすると下位リーグはどうしてもだらけてしまいます。それがない分緊張感のある大会となりました。また目標となるペアがいるということで、皆挑戦していきました。外に出て行かない人は余計その思いは強いでしょうね。僕たちもローカルの試合にいった時は心しておかなければいけないことだと思います。 今回、石井さんが最後の市民大会で東京に帰られます。最後の試合で4掛けを福谷さんとやることになりました。どうだろうと見ていましたが、臆することなく打ち込んでいきます。福谷さんも打ち負けるシーンが何回かあり、蔀さんのサイドを抜いたり真っ向勝負したりといつも通りの展開と気合いが入る分ボールが締まっています。前衛の斉藤さんも最後の試合ということで石井さんと組もうとこの大会に臨みました。やはり動きが良くボレースマッシュとも普段の力は十分出たと思います。2-0までリードから3-2まで逆転されとのを踏ん張り3-3ファイナルへ・ここは素晴らしかったですね。諦めないという気持ちでした。最後のファイナルはチャンピオンペアも気迫で押し切ってきました。2-7で負けましたが、良いゲームでした。挑戦していく・自分の力を出し切れば相当の試合ができるということを証明した試合で今後の彼らのテニスにきっと大きな意味を持つことだと信じます。石井さんが八尾でテニスをして頂き、その人柄に皆また素晴らしい友人を得たと感じましたし、今は亡き南野さんとも親しくして頂きましたし、いろんな大会に代表で出て頂きました。八尾で楽しかったな!と思って頂けたら、協会員一同それ以上の喜びはありません。どうか東京でも是非テニスを続けて下さい。またどこかの会場でお会いできることを楽しみにしています。 石井さん 9.29 志紀コートでの最後の練習 2012.9.20 自分のテニスが追求できることはこのスポーツの良さですしそれが一生続くのは限りなく嬉しいことです。ソフトテニスの将来を考えれば若い人たちにどんどん巧くなってもらいこのスポーツを更に発展させていくことを考えなくてはなりません。先日大阪府選手権が行われ一般・成年の部がいち早く行われました。一般男子では上宮高校生が優勝しました。最近高校生が選手権をずっと取っています。ジュニアから鍛えられ、運動能力も17歳がピークといわれていますから高校生が取ったとしても何ら不思議はなくむしろ硬式テニス界では常識のようになった早熟化がソフトテニスにもやっとやってきたのかという嬉しいような悲しいような事態となりました。1年前、岸和田ジュニアのU14に入っていた秋田という女の子が大阪OB会の練習にきていました。奈良の中村選手は強打で鳴らしているのですが、必死で声を出して打っても打ってもそれ以上の玉が返ってきます。数十分のラリーを終えた彼はヘトヘトになっていました。シニアの世界ではボールも極端に速く試合巧者の中でも目立った存在であるのに中学生の女の子に対等に打たれることが私には驚異でした。でも現実です。彼女たちはどれだけのいい練習を積み重ねてきたのでしょう。しかし彼女は日本でtopではありません。その上には同じような選手達が数え切れないくらいいるのです。どれだけの選手を創れば今の時代を勝ち抜ける人になるかは解りません。僕の基準ではちょっと理解できないくらいのところにきているかも知れないのです。 昨晩八尾の体育館での練習がありました。大阪の東大阪市に玉串ジュニアというジュニアチームがあります。6年生の女の子が練習にきました。見ただけでは普通の子です。ただ形もしっかりしているし、フォアハンドは振り切れているしどんなものかなと思いラリーの相手をしてみました。すると巧いのです。相手によって対応を変えているのかも知れませんが、しっかり打てるし足も思ったより速いです。前のボールもまあ起用に返します。まだ発展途上なのはバックハンドでしょうか。両手打ちの形は解っているのですけど細かい対応と手足の使い方が解ってないので不器用そうです。しかし一本うちで修正するとあっという間にいいボールが飛ぶようになりました。若い子は飲み込みが早いね・・。かつて教えた牧本姉のゆったりとした振りから出る長いボールを思い出すような良い球道をもつボールを打ちます。フォアハンドはそつなく打ちますがまだ相手を後ろにはじき出す様なボールではありません。これからじっくりと見ていきたい素材ではありました。男の子はなかなかアクロバットのような世界に入っていきます。特にラケット使い、面使いは僕たちの頃と違い振り回す。ただインパクトは一緒なんですが、其処に集中して点で捕らえる打法のようです。僕たちはたとえ少々ずれても対応してミスしないことに重点を置きました。今の教え方はミスしないでなく、一本ミスしても2本決める。2/3の正確さで行けば必ず勝てる!という教えでしょうか?かつての明星高校前衛がディフェンスよりもクロスを取ることに重点を置いたようにです。1本抜かれても2本決めればいい理論ですね。100本の完璧さより49本ミスしても良いから51本が入ればいいという感じです。僕は少し考え方が違いますからなかなか教えにくいところがあります。成年、シニアになってくるとそんなプレーをするとたちまち負けてしまいます。前衛はポイントゲッターですから、できるだけさわったボールはミスしないで確実に決める。つまり、さわる回数が少ない分完璧を追求していくテニスです。この意識の差を埋めて指導するのはなかなか難しいですね。 女子はその点手首の力や運動能力が其処まで発達していないので我々のような考え方のテニスで展開から弱点をついて確実なプレーでしとめていくというテニスを教えればいいのでまだ指導が十分はいるのです。 今後、色々な層の方と触れあうことになると思いますが、どういった風にその各層でのテニスを進歩させていけばいいのか・・それが大きな課題となってきています。 (震災のこと) 大船渡から帰って色々なことを考えました。人が生きているということは、大変なことなのだなとも、自分で生きているのでなく今まで偶然に不幸に出会わなかっただけなのかも知れないなとか、助けるとか、援助するとか、どういうことなんだろうとずいぶんと考えました。 支援のイベントが終わった翌日、朝散歩に出てみました。まだまだ痛ましいままの家々や鉄くずが集められた赤茶けた山、そして盛り上げられた土地の上に走る道路。それは黒い土嚢が積まれた上に70cm高められた道路です。大船渡は地震で土地全体が約70cm地盤沈下したのです。道路だけ上げても周りの土地はそのままです。水が引かないのでしょう、至る所に溜まった水があります。湿地帯を思わせる光景です。吉田さん、姫野さんは1時間前からこの辺りを見たそうですが生々しく傷跡は残っているようです。すぐ目の前に堤防が見えます。そこは川で入り江から数百mここを逆流して川に沿って被害が奥まで広がったのです。その川は海にすぐ近くのため満潮時には陸まで20cmくらいの水面の余裕しかありません。ですから満潮時に地震があれば再度水が押し寄せるのは間違いないでしょう。 大船渡の海岸沿いに市場まで行きました。2-3日前から再開したとのことで少し活気がありました。GSも開いていて、トラックが数は少ないですが行き来しています。ああ良かったなあ・・と思ったのですが、まだまだそうでもないと説明されました。よく見ると港に殆ど船がありません。船が大破したり沈没したり、廃業に追い込まれた人もいます。旅館でさえ、場所を変えることができず津波にあった元の場所で再開し、また来たらしょうがない、私たちの時代には来ないよ、子供達は解らないけど・・といった言葉が耳に残ります。お金がなく漁船を買ってまで漁師を続ける魅力のない職業になろうかとしています。そうでなくとも若者は離れ行き細々と高齢者で続けてきたものが、もはや立ち直れない状態です。船がなくては魚も捕れません。そして魚が揚がってきたとして、大船渡は元々魚の加工が盛んなところでしたが、加工場が破壊され再開の目処が立っていません。更に冷凍しておく倉庫も不足しています。いくらたくさんの魚が捕れても置いておくことも加工することもできないのでは、どうしようもありません。産業は連動しています。だからどれ一つが欠けていても成り立たないのです。日本は縦横に張り巡らされた網のように産業が相互に助け合い、補填しあい成り立っている社会なのです。全ての会社が同時に復旧する・・なんてとても考えられません。やはり復旧はまだまだ遠いなあとつくづく感じたものです。 更に帰路は花巻に行き飛行機ですが、その交通経路は簡単ではありません。東北本線に乗るまでが大変なのです。海沿いと山沿いを並行して線路が走っていたのです。我々西に住んでいるものの感覚では海沿いの電車が主で山沿いはサブの意識があります。中国地方は尾根日本文化と言って麓に沿って盆地が点在し、そこには小京都ともいえる良い都市が連ねます。丹波っ篠山、福知山、西脇、山崎、津山、新見、庄原、三次、津和野などですがこれら全てをを結ぶ鉄道は殆どありません。あったとしてもローカル線で1時間に1本あればいい方です。 その中央を走る東北新幹線に乗るため一関まで出ました。ひょっとしたら仙台まで行って飛行機の方が便利だったかもしれませんね。ただそこは土地勘のなさでしょうか?途中、陸前高田を通った時、なんと言えばいいのでしょう、ただただ衝撃を受けたというか、あまりの何もない光景に・・陸前高田はまだですか?・・・ ・・・もう入ってるよ・・・えっ・・ という感じなのです。ただずっと平原が続きます。右側に白い4回建てのビルが2棟見えてきました。誰か住んでいるのかな・・そんなはずないのに・・そう思います・・そうあってほしいと思います・・しかし、ぐっと車が近づきます。3階までのベランダや窓ガラス、サッシなどが全くなく鉄製の枠がいろんな方向に曲がっています。悲しいことに、4階のすべての部屋のガラスもサッシもベランダも全く無傷です。はっきりわかります。津波がこの建物の3階までを飲み込んだこと・押し寄せる波にきっと恐怖でこの建物の人たちは震えながらその現実を受け入れたんだろうということ。津波が去ったあと一体この虚無感を彼らはどう受け止めたのだろう・・など。それでも不幸中の幸いだったのはこの建物2棟が海に縦方向に建っていたことです。横なら強い力で海に引きずり込まれていたことでしょう。奇跡のように立っているのです。・・あとで聞けばこの建物は千昌夫さんのホテルだそうです。 左側に照明等が曲がりながら立っています。総合運動公園のあとです。吉田さんは感慨深げに・・・ここで試合やったんだよな・・・と呟くようにポツリと話します。・・思い出が消えていきます。最後に残った光景がその思い出を一層虚しくしてしまいます。ただ修復された道が荒野を貫きます。左手に廃墟のような低いビルと一本の松が立っています。・・あああれが奇跡の一本松か!・遠くに朝もやでしょうか、白くボーッと霞んで見えます。運動公園あたりは高田の松原という松林だったらしいですが、今や一本の松しか残っていないのです。ぐるりと道は周り気仙川を渡ります。少し行ったところに交番あと・・そこには花と線香が手向けられていました。よく見ると至るところにワンカップに入れた水と花、線香が置かれています。ここでは多くの方々が水にのまれたのです。風は静かに吹いていました。がれきがやっと町から取り去られ、逆に何もない土地を見てしまい、空虚感、無常感などとはまた違う本当にただ切ない無力感だけが残りました。私たちはソフトテニスの仲間や子供たちのために何かをしてあげたいと思ってここに来ました。けれど遠くの土地にいて支援をしたりして何らかのある意味では自己満足を自分ではしていたのかもしれません、さっきまでは。でもそんなことは本当にちっぽけなことで、この姿はたった数時間で人の歴史を奪い去っていったこの水という怪物の前に、無力な自分を感じてしまいました。昨日やったイベントは果たして何らかの子供達や保護者の皆さん、先生方に何かを感じていただけることができたのだろうか?みなさんは折角やって来てくれたのだから最後まで付き合ってあげなくては悪いんじゃないか、などと優しく逆に僕たちの気持ちを慰めてくれていたんじゃないのか・・なんていろいろ考えると、自分たちがやってきたことが本当にちっぽけで恥ずかしいことしか出来ていないんだと・・落ち込んでしまいました・・ 更に陸前高田から気仙沼を超え一路陸内部に車を進めます。するともはやそこは別世界です。地震の被害も確かに大きかったのですが津波がなければ随分と違うものです。別世界でした。もしも陸前高田の以前の姿を知っていたなら、きっとそこに立つことなんてできないんじゃないかと思ってしまいます。新沼さんの奥さんが以前高田の和菓子屋さんのお土産を持ってきてくださいました。そのお店も今はないのでしょうね・・きっと。 2012.9.18 全日本シニアが終わりました。今年の大会もこれで終わったのだという感覚です。まだたくさんのローカル大会が秋にはありますが、これらは次年度への布石です。今年の反省と来期への挑戦がすでに始まっていると考えています。一年の計は元旦にあり・我々の一年の始まりは、その年の全日本が終わった日です。新たなチャンピオンは全てのチャレンジャーの標的となり、試練を受けます。シニアでは破格の強さと巧さを誇る篠辺選手でさえも今年の全日本は勝てませんでした。そして多くの実績を持っている彼も全日本を冠する大会は昨年一回しか制覇していないのです。それくらい勝ち続けることは難しいです。どんなにドローが悪かろうとどんなに体調が悪かろうと、どんなに精神的に参ったことがあろうと、はね除けなくてはなりません。一年経てばどしどし若い人たちが同じ戦いの場に現れます。私も狙うように、また彼らも狙ってくるのです。 私のブロックは第4シードの山でした。3,4シードのブロックは激戦区となるのが常です。そして今年も厳しいものでした。ただ、終わった結果を見ていると必ずしも予想したペアが勝ち上がっているわけではありませんが、後で考えると全然おかしくないよね・というものです。つまり、誰にもチャンスがあり誰にも1回戦で負ける可能性も高いのがこの全日本です。この大会に参加する前から前日の練習の気合いの入り方から全て違います。関東で行われることもあり、普段見たことのない人が多くそれだけに緊張感が強いのです。またトーナメントの持つ厳しさがその1本のボールの大切さを皆よく解っているだけに自ずと練習にも身が入るのです。どれだけ準備をしてきたのか、どれだけ仕上げてきたのかが問われるのです。またソフトテニスは短いポイント数で戦いが終わるだけに1本も気を抜いてはいけないのが実情です。実力以外の番狂わせも起こりうる・戦術に長けたものが勝ちうるスポーツです。それをパワーで押し切って行くペアもいれば両方を兼ね備えたペアもいます。ペア力も問われ、色々な組み合わせのペアと技術力がこの歳になると備わってきます。ですから余計に面白い。自分たちのできることの限界を知りながら、相手との勝負をしていく楽しさがあります。本当に良いスポーツにであったものだとその幸運に感謝するものです。ドローを見ると我々の下に冨田・小川ペアがpackingに入っています。彼らの実績からすればこの位置はあり得ないと思われます。全日本シニア50で優勝。毎年のようにmixでは決勝に出て行く2人です。今回もシニア55mixは決勝対戦して前衛の小川さんが勝利しています。でも昨年の男子トーナメントは我々と同じ3回戦・・その所為で1回戦に回っているのでしょうか?しかしもう少しドローの組み方は何とかならんものでしょうか?ドローを組むルールは厳然としてあるのでしょうか、とても何かを参考にして組んでいるようには思えません。ましてや全日本シニアソフトテニス選手権です。他の試合はまだ少しの間違いは良いでしょうが、ここは自らの力の評価を正確に評価できる基準というものを作って欲しいものです。全中やインハイ、インカレや天皇杯でも同じ事が行われるのでしょうかといえばそうではないでしょう。そこは少し考えたほうが今後のためにも良いのではないでしょうか?今回の55の少し考慮して欲しい点はいくつかあります。東西の選手権は7月に終わりそのチャンピオンは出ています。今年の成績が最も今の力を反映していると思われます。第1シードは西、第2シードは東ですからせめて第3に西日本チャンプ、第4に東日本チャンプを置くべきでしょうね。また全体のブロック(例えば近畿、東海、関東)の優勝者の配分も全く考慮されていないようです。ここまでくらいを分配しておけば、あとは昨年の実績を適当に配分すればいいドローになると思います。今回のドローを見ても1,4ブロックが西日本が大部分、2,3ブロックが東日本大部分と偏りすぎていると思われます。来年からは是非参考にして頂きたいものです。苦言を呈するようですが、硬式のように決まった試合にいくつか出てポイント制としてランキングを出してそのポイントでドローを組んでいくのはどうでしょう。地域が近い人が1回戦から対戦しないようにするよりもよっぽど納得してもらえると思います。現在ある、いくつかの西日本公認大会、東日本公認大会、東西選手権大会、地区大会の成績をポイントとして加算方式で個人の点数を出せば良いですね。前後衛の各々の合算ポイントで順位を決めればいいでしょう。前年の成績はbest4までは昨年通り、8本シードから順番に入れていくのはどうですか?ダブっている人は勿論除けばいいいことですし。 話を戻します。前日のmix大会でドローが手に入りますからこの組み合わせは解っていました。それだけに気は前日から十分入っています。それは彼らも同じでしょう。ただ彼らは疲れていたのではないでしょうか?両者とも決勝まで1日でこなせば6試合はやっています。女性をカバーしながらの6試合はキツいでしょう。僕も1昨年mixに出ました。3試合でしたが、ファイナルをやり、厳しい相手と全力で動き回ったせいか2日目第1試合8掛けでガクッと足が重くなりファイナルまで行ったのですが負けてしまいました。それぐらいきついと思います。案の定サーブも入らずストロークもややいつもの精彩を欠き、前衛の小川さんも図々しいくらい目に入るのですけど今回は大人しい印象でした。小早川氏も一試合リタイアが出て急に呼び出された割には休養十分でボールが走ってます。1-1から3ゲーム連取して④-1で勝利でした。次はまたあいだが空き試合が始まる頃には影が長くなっていました。次の相手は熊本の沼田・白石ペアです。彼らとは全日本で3回目、1回目は山形で④-2、2回目は北九州で3-④、今回はお互いよく手の内を知り合った間柄ですのでどうなるかわかりません。1ゲーム目は沼田氏のミスもありネットインのラッキーも重なり取りました。次の1ポイント目、クロスポーチを白石選手にフォローされました。これがこの試合の全てだったかもしれません。ここはイージーな絶対ポイントでした。少し安易に前衛のそばに打ってしまったのです。集中は他の試合よりもすごい全日本ではこういったボールは返ってくるのです。そこが今回の僕の人間の甘さでした。そのあとこのゲームを落とし1-1、ポイント先行するのですがいつも追いつかれて1-3まで。これでは終われないと集中して2-3。次は1-3となったボールカウントをデュースまで持っていき2回凌ぐも最後の球をフォローミスでゲームセット。常久さんではないですが・・ひと夏の青春(挑戦)が終わりました・・ いろいろありました。しかし私的には自分がここ一年追いかけてきたものは大分出せたかなと思います。悔やまれるのはあの1本への心構えが出来ていなかったことです。ということはまだチャンピオンになる資格が無いということなのでしょう。まだまだ試練が必要なようです。来年の課題も見つかり目標も朧げながらに出てきました。 新たな気持ちですでにスタートを切りました。皆さんまた一年頑張りましょう。次は神戸です!! 2012.9.9 久松杯が終わりました。結果は55男子は黒田・片山④-3新開・高田(f:14-12)だそうです。全日本シニア前の大会とあって多くの選手、しかもそうそうたるメンバーが集まりました。リーグ内でさえこれは西日本・全日本の2日目くらいの試合だなという感じです。詳細はHPの試合結果を参照して下さい。私の予選リーグは常久・前川、野崎・田中ペアです。どちらも実績のあるペアで特に常久・前川ペアは今年多くのローカル大会に出てペア力を上げてきています。その結果、3試合くらい連続優勝をしているはずです。野崎・田中ペアは最近肩痛などでやや不調でしたが、持っている底力がありいつも脅威を感じています。実際私は対戦しても殆ど勝っていないと思います。前日に練習したペアの堤下氏がこの組み合わせを聞いていました。それは気を引き締めなければいけないし、またとないチャンスだと感じます。思い切って向かっていけばいいのですから。リーグ内で1番が常久・前川、我々は3番です。1試合目はこの両者の対戦。どちらも気合いが入っています。この暗黙の緊迫感が試合を盛り上げます。ギャラリーも多く一本が気を感じる展開です。野崎ペアの気迫がすごく振りも鋭く厳しい玉が常久さんを襲います。今まで多くのローカルの試合とはひと味違った常久さんが受け続ける展開です。打てるボールは強打するのですが、何となくポイントが微妙にずれているのでしょう。アウトネットが重なります。野崎さんのボールはそれに比較して伸びやかです。ラリーの主導権を握っているのです。遠くに遠くにボールが角度を持って入ってきます。防戦一方で常久ペアは1-④で負けました。この試合を見たので僕の心の中で何かが弾けました。しかもスコアは④-1です。我々は2戦を絶対に負けるわけにはいかないのです。もちろん野崎ペアに負ければ、常久ペアとの2位争いとなり、勝ったとしてももつれれば次の試合に負けるとスコア次第では落ちてしまいます。1試合目で確実に上がるには④-0以外にはありません。また、2位上がりはやはり今までうまくいった試しがないので一位で抜けたいと思っています。今日はこの二つがこなせたら良しとしましょう。 2-3番の試合が我々の最初の試合です。勝っている野崎・田中ペアとの試合となります。色々なことを考えました。かつてチャレンジを繰り返していた頃、この相手にはこうしよう、あの相手には以前こんな風にやって勝ったけど、今度はどうだろうか・とか戦いの前にイメージを作って入ったのでした。最近は少しそういったことが疎かになっていたんじゃないかと今思います。何となく入り、何となく試合の流れのままに動いていく・・それではやはりここ一番の勝負には勝てないのかも知れません。今回その思いが蘇ったことは本当に有り難いことでした。勝とうと思えば自分の事と相手のことを知らねばならないし、癖とか気の強さを知らねばなりません。岡目八目とは良く言ったもので試合を見ていると本当によく解ります。それは自分ならどうするとかをしっかり考えますし、冷静に4人の表情を見ることで冷静な総合判断をするのです。当事者になると自分とよく見て相手の後衛(前衛は)、後衛はきっと逆でしょう、くらいしかいつも見ていられないです。自分の後衛の心理状態は声とか空気でしか読めませんし、やはり飛んでいくボールの質で判断するしかないです。ただポイントの一本、せっぱ詰まった時の心理が読めない時はやはり空回りします。其処がないようにコミュニケーションを取らなければ短時間で終わるソフトテニスはあっという間に終わってしまうのです。 2012.9.7 少し前からfacebookを始めました。鹿児島の角野さんが始めて友達承認連絡が来たのがきっかけですね。もうずいぶん前からありましたが、きっかけがなければ飛び込んでいけない年代になってしまったのかも知れません。ただやり始めて思うのは、皆さんのいろんな思いがよく解るということです。そして前向きなつき合いですよね、こういった情報発信というのは。だから読んだ後は暖かい感じが残ります。きれいな写真であったり、奇跡の一枚であったり、旦那さんのために一生懸命作っている食事であったり、子供さんの育児記録だったり、趣味の活動の記録や感動したことや・・様々です。人によっていろんな活動をしているんだなとも思いますし、大切にしているものも違うのだと納得もします。人の多様性を映してくれますし、普段と違う皆さんの顔を知ることもできます。例えば親戚がいます。全員ではないけれどもその内の何人かがfacebookをやっているとします。すると、日常とまでは言わないですが、何かをやっている近接感があります。何となく見えてくるのです。これは素晴らしいことです。これこそがインターネットの魅力であり、世界中が自分の手の中にある事でもあり、自分が世界に飛び出すことでもあるのです。どれだけ自分を出せてそこに入ってくる人々とふれあえるか・・それが双方向型HPといわれる所以でしょうか。HPは片方からの発信であって、見られているかどうかはカウンターのみで、その評価についてはレスポンスはとても低いものです。しかし、facebookは評価や意見がすぐ書き込めて誰とでもメールをする・・いや、チャットをして作り上げていく感覚です。それは楽しいことです。みんなで創れるHPといっても過言ではないでしょう。これからもっともっと良い方法を考えていきたいですね。 2012.9.5 全日本シニアが近づくと何となくそちらに気が行ってしまいます。いろんなペースをそれに合わせ、体調管理にも気を配るようになります。後一週間すればまたあの緊張感に出会えると思えば気も引き締まろうというものです。 2012.9.4 大船渡でのイベントの様子など書きかけていますが、もう少ししたら掲載します。 2012.8.31 8/17伊丹空港を飛び立ったエンプラエル機は北陸から新潟を経て花巻空港へ。途中佐渡島が地図通りに連島がくっついたように見えて穏やかに晴れた地上は全てが停止しているように見えます。その中で本土から佐渡に向けて一直線に飛ぶ飛行機と富山当たりで、高度8000mの本機とほぼ水平に北西に向かって高速で飛行する機体を見かけたのが印象に残ります。この白い機体はあっという間に見えなくなりました。戦闘機だったのでしょうか?しかし先日沖縄で見た黒い機体とは違います。天空をハサミで切り抜くように消えていきました。 花巻空港に近づくと天候は一変しどうやら雨模様、雲がかかってきています。雲間から見える眼下の岩手の大地は穏やかな深緑の柔らかい土地でした。宮沢賢治のふるさと・銀河・童話・・そんなイメージが紛れもなく湧いてくる風景です。彼が愛してやまなかった北の土地、歌にも唱われるこぶしの花が4月には咲き誇り、マンドリンかギターのトレモロの似合う柔らかさが感じられます。とにかく、土地がきれいに整備されています。人は少ないはずなのです。でも雑草が生い茂るところは殆ど見られず、河川敷などもきれいに刈り込まれているのです。田圃も畑も山々も皆同じです。東北の美しさを感じる光景でした。日本の原風景なのでしょう。 花巻空港は田圃というか原野の真ん中にあります。花巻駅までバスで15分、駅はただっ広いロータリーの隅っこにぽつんとあります。東北本線という幹線が今や本当のローカル線となってしまいました。2両くらいでしかも一時間に1~2本運行されているだけです。人が少ないのか利用客が車に移行してしまったのかわかりませんが、そういった寂れた状況が見れます。花巻から水沢へのどかな・・というかワンマンバスのような車両に揺られて30分、途中の駅は少なく一駅間が長いこと・東北は広いです。 水沢の駅で福島県いわき市の吉田さんと合流、ここからは車で大船渡まで行きます。距離は70kmくらいですけど、山道なので2時間若とナビが指しています。道路は空いていて走りやすいです。地元の人の推薦だけあってこの道路は広くなだらかで走りやすい道です。30分以上信号に合うこともなくひたすら走ります。途中、吉田さんの震災体験を聞きながら・。吉田さんも早65歳になられます。今年で退職されたそうです。仕事をしていてもなんだか人生観が変わったようで、本当に生きていることを大切にしなければいけないと感じたといいます。大きな自然現象は人知を越え、無力さを痛感させられるのでしょう。たった数分の大地の振動が、築き上げてきた数十年数百年単位の歴史を一瞬にして消し去る・・津波がやってきて水が引くまでいったい何時間なのでしょう。一瞬の出来事です。その瞬時に多くの命が失われ、数兆円ともいわれる被害が発生したのです。それだけではなく都市が消失し、生活の基盤が失われてしまったのです。 大船渡に入りました。397号線を通り川の上流から下ってくる感じです。通常の町並みが続いています。海岸に近づいてくると突然壁のはげ落ちた家、一階がごっそり抜け落ちた鉄筋作りの工場などが見えてきました。あそこまで来たんですね・・と吉田さん。海岸から1km、川岸から数百mのところにある旅館に着きました。道は両側に黒い土嚢が積んであります。そこに沿って舗装道路が通ってます。よく見ると道から土地は全体が低い位置にあります。これは陥没・・地盤沈下しているんですよ・とのこと。70cm下がったんで道路は元の高さに戻してあるんです・・と。旅館では歓迎してくれましたが、ここも2階まで全部やられました、3階に避難できたので私は助かりました・とその家のおばあさん。早急に家を復旧して商売を始めたとのことです。安全なところに行けば立て直すのに数億円、改築するなら数千万円、安全じゃないといわれても私らの代ではもう来ないよ・・子供や孫の時にはわからないけど・・と言われます。どこかに行きたくてもいけない事情もあるし、それを保証してくれるところもありませんね。政府の対応の遅さも期待できないし、やはり自分の身は自分で守らないとダメだと思っているようです。部屋に入り、2階の窓から外を見れば、なんでもない風景のようですけどかなり異常だなと気づきます。まずこのあたりは大きな町のはずでした。鉄骨の大きな家しか残っていないこと、やたらと広い空き地が広がっていること。そして赤茶けて錆びた小山のような廃鉄の固まりが集められていること。魚市場の一階のはがれ落ちたそのままの建物が放置されていること。それらは未だかつて感じたことのない心のざわつきと無量感でした。 雨が降ってきました。激しく通り雨にしては少し長いです。見る見るうちに水たまりができます。明日のテニス指導とイベントはできるんだろうか・・と。夕方、明日のメンバーと打合せ。まつもとななみさんは高梁クラブの松本夫妻の娘さんです。5月の連休、松本さんが名古屋の大川さんとペアを組んで東大阪、神戸の試合に出るので我が家で食事をした時のことです。新沼氏の長女がミュージシャンだったり私の子供たちも音楽好きだったりで色々話をしていたところ松本さんが「家の娘も東京で歌手をしてるよ」といったのが事のはじめです。新沼氏がバックアップするよとのことで色々その後会っていたようですが、岩手のイベントで歌わないか・との話にやります!との事になりました。また同じ仲間の「月がさ」というロックバンドが支援イベントに是非とも参加したいと申し出てくれてにぎやかな参加となりました。ななみさんのエレクトーンだけでなくパーカッションが加わることで音にも広がりがでてゴージャスになります。とてもラッキーな参加でした。彼らも皆、行ってみたいが機会がないということで岩手は初めてとの事でした。音も聞いたことがないのでわかりません。明日は良い音楽で子供たちを楽しませて欲しいものです。その後、地元の担当のスタッフの方々と打合せです。大阪にもメールが来ていましたが、非常に積極的にイベントを進めようとの意欲が伝わります。子供たちのためにと、岩手のジュニア・中学・高校の先生方、父兄、スタッフ、コーチいろんな方々が実に丁寧に熱心に面倒を見てくれます。サポートがしっかりしていることが子供たちの育成には何よりも大切な事なのです。大船渡・陸前高田ジュニアクラブの代表佐藤氏、大船渡第一中学校の佐藤先生皆さんの立てられたスケジュールの細かさには感心させられます。またサポートする大船渡の新沼会長、陸前高田の菅野会長など初めとして多くの方々とお会いすることができました。皆さんの熱心さと実直さが岩手のソフトテニスを支えていると思います。朝はできるだけ早くスタートしないと体育館の使用時間の制限があるとのことで集合を早くしてスタートをきっかり9時としました。時間の目標ができると、皆共通認識があるのでスムーズに事が運びます。皆初めての試みです。これが次からの基準となるでしょう。緊張感と不安を感じながら、そこは長年の経験で・何とかなるだろう・で1日目を終えました。 8/18 前日の降雨で少しコートが柔らかいのではということ、全ての準備をしておこうということで時間を30分以上早め7時すぎには会場へ。大船渡1中は良い雰囲気の中学校です。でも、予想はしていましたが校庭にはビッシリと仮設住宅が並んでいます。全く隙間がありません。先生方に話を聞くと、テニスコートだけはこの学校は残してあるのだと。一校だけ試合ができるようにとの配慮なのでしょう。他校は全てテニスコートの上に仮設住宅が建っています。皆テニスがしたくてもできないのです。テニスだけではありません。グランドがなければ殆どのクラブ活動はできないのです。それでも公園を見つけ、他の地区の学校の施設を使い融通しながらクラブをなんとか保っているのです。コートは前日の雨にもかかわらず丁度良いくらいの硬さです。ずっと雨がなかったので良い感じになったと菅野さん。今日は他の地区で試合があるとのことですが朝の挨拶はしていくとのことで朝早くから陸前高田より来られています。テントを中学生の女子が作り、ボールのエアー調節を行い、コートの状態もチェックしてさあ準備は万端です。体育館のイベント会場も朝から準備できるとのことで着々と進んでいるようです。 次々と子どもたちが集まってきました。まずジュニアとサポートの父兄、コーチ陣。次に各中学校の生徒と顧問の先生方、ご父兄。こうして見るとすごい人数です。180名を3面のコートで3時間教えるのはなかなか難しいことに思えてきました。でも今更後には引けません。なんとかこの子達に何か一つ良かったなあと思えることが残ればいいか!という気持ちでやろうと決めました。ジュニアは吉田さん・姫野さん、中学1年生は小俣・千葉さん、中学2-3年クラスは高原、一場さんです。私のところが結構人数が多く、回転が大切でした。サポートの上げボールによって随分と違うでしょう。私たちには東北の50チャンプ、及川さんが入って下さりとても助かりました。子どもたちは少し打たせてみると、実力の差が随分あります。難しいことはできません。易しいこと、打つということのコツを教えてあげるようにだけポイントを絞って話しました。20分打って、一度事を話しもう一度復習させる・・それくらいしかできませんね。両隣では素振りのような事から始めています。私はとにかくボールに触らせることが大事との考えです。色々指導はあるのだなと感心しながらあまり見る余裕はなかったのですが雰囲気を感じていました。後で他のコートの方から、いきなり打たせるのでビックリしたよ・・と言われました。そうなんでしょうねえ。 一本うちでは時間がかかりすぎるので、連続打ち(1本を替わりながらラリーを続けていく)を行いました。ストレートとクロス打ち。次にボレーとスマッシュ。後衛も今のルールでは必要だよと前置きして練習させました。あっという間に時間が過ぎ練習時間は終わりです。しかしやはり緊張し続けていたのでしょう。喉がからからです。 昼休みが過ぎると、今教えた子どもたちと我々の試合が行われました。沢山の子どもたちに機会を与えるためにファイナルゲームのみの7ポイント先取方式で行いました。中学2-3年コースには新人戦で優勝したペアもいてなかなか上手い女子の子達がいました。でもやはり勝負になるとミスを先にしてしまいます。もう少し練習試合を沢山やっていくことがこれからは大切でしょう。ただ今の環境では難しいかもしれません。1時間近く相手をすると結構疲れます。 最後にエキシビションマッチを見せる事になりました。私と新沼さんペアvs東北チャンプ及川さんと成年の一場さんのペアです。あまり一方的になってもいけないし、速い球だけ打ってアクロバットになってもいけないし、参考にできる程度の勝負に仕上げなければなりません。新沼さんは勝つ気満々です。相手の及川さんも勝ち気な剛球を打つタイプです。がんがん打たれれば厳しいなと思っていました。一場さんは見たこともないし成年で話を聞けばかなり実績があるようなので甘く見てはいけないなという感じです。 やはり思った通りの展開です。新沼氏も及川氏もガチですね。一場さんもスピードがあるし、さすがに成年です。僕としてはスピードボールを打たせないようにするにはどうするかとかどこに打っておけば相手は攻めれないで繋ぐしかないとかを見せたつもりです。分かったのは大人だけかも知れませんね。そういったボールを送っているので後のプレーが簡単にできるんだということが分かればいいのですけど。後で佐藤先生が解説していましたがおそらく若い子達からはボレーやスマッシュの激しいポイントの時には拍手があったのをみるとそこまでは分からなかったかな? 何はともあれ4-2くらいで終わりました。これからの子どもたちや見ていた大人達の参考になればと思う次第です。 さて、少しの休憩の後、体育館での歌と抽選会イベントです。僕たちはもう半分以上終わったという安堵感で疲れがどっと出た感じでしたが・・ 月がさ、まつもとななみちゃんのコンサートは約1時間で終了。ロックバンドは小学生達には少し強烈だったかも知れないです。でもそれがいつか残っている子もいるかも知れないし聞いたことのない音に魅力を感じたかも知れない。なんでも初めては貴重なものなのです。ななみちゃんは知っている歌のカバーとオリジナルを交互に入れる上手い演出で子どもたちが一緒に歌える感じで引き込んでいました。東京という歌は、岡山から上京した孤独感や切なさをうまく顕したメロディーも良い曲だなと思いました。もうすぐCDデビューするとのことです。今日のコンサートはとても素直に表現していて、ネットYOUTUBEで見た歌よりも何倍も良かったと思います。気持ちが素直に出たのではないかな。その気持ちがいつもステージで出せたら人は自然に応援すると思います。頑張ってください。 夜は関係者と地元の方々との懇親会です。一人ずつ挨拶をしましたが、なかなか皆素直に語りました。大阪ではここまで完全に素直にならず、照れ隠しにおちゃらけるのですけど、さすがに実直な東北の方々で、私も本当に素直に今回のイベント参加について話させてもらいました。何かをしようと思ってできなかった神戸の地震への反省と自分の情けなさ、今回の地震は私は2度もニアミスでした。これも生かされているということなのだろうと思います。ソフトテニスへの福島の方々の優しさ・特に日韓交流会への応対していただいた富岡町が今や避難区域になっている現状。全員に何もできないけれど、せめてテニスを通じて何かできることをしてあげたいと思ってやっていること。また父が被爆者であり原発には基本的に賛成できない、人類が捨てなければならないものであることを話しもしました。皆さん思い思いに自分の心の中なるものと向き合ってこの場所で合流したのだという一体感が柔らかな雰囲気の懇親会となりました。テニスは所詮遊びです。されどテニスをしていることで、こんなにも素晴らしい仲間達と知り合うことができました。今や自分の人生の中でいつの間にか大きな場所を占めるようになっています。きっと皆さん同じなのです。生きることに張りがあって生きることに希望があればきっときっと良い世の中を創り出せるでしょう。たとえ道は遠くともです。 8/19日 早帰る日です。朝起きて少し散歩をと思いました。吉田さんと姫野さんが立ち話をしています。陥没して盛り土をした土嚢の高さに造られた道を踏みしめながら湊の方まで行ってきたとのこと。私も少し見てみたいと言うと、帰りは陸前高田から気仙沼の方を通るので見ながら行きましょうとのことです。では食事を早めにして出ましょうかと言うことに。帰るとほとんどの人が食事に出てきました。昨日の話しもさることながら、一番すごい体験をされた菅野さんがしみじみとその時の様子を話されました。 2012.8.28 はや大船渡から帰り10日間が経過しました。色んなこともどんどん流れていきます。それが時の流れの中に生きている人の宿命です。公平に物理的な時間は過ぎていきそして全てを流し去っていくのです。しかし、我々にはかなりの長い間記憶があり、それをどうにか心の中で傷つかないように修復し積み上げていきます。あそこで見たものや感じたものを一言で語るには加太勇気が出ません。何を言っても何かや誰かを傷つけるんじゃないかと思ってしまうのです。 2012.8.27 8.26は丸亀の近県大会。いつも四国に出かけていきますが、感心するのはそこのクラブが大きな大会を運営されているということです。香川県は、「高松若水クラブ杯」「丸亀近県大会」「胆石仁尾大会」と3つ、愛媛県が「新居浜近県大会」「松山の全関西大会」「今治瀬戸内海大会」と3つ主催されています。それも各大会を大切にされていてすでに60回、80回といった歴史を重ねてられています。継続の苦しさや難しさもよくわかりますのでこれだけ長く続けられていることは素晴らしいですね。そして四国の方々の情熱とテニスへの思いが伝わってくる気がしています。丸亀では会場の横で、丸亀出張うどん店が設営され一日うどんのサービスがあります。本部の方々には本当に暑い中感謝します。このうどんを食べたいと大阪から参加している人も多いのですよ。今年も2杯冷やしうどんを頂きました。有り難うございました。 試合は今年昨年に比べて1ランク若返って53以上に出ました。全日本シニア前で少し厳しくやってみようと思ったのです。やはり若い人が多く厳しいなと感じました。特に我々の箱には川上・小野ペア、東村・福澤ペア、若い前衛の武田・篠原ペアがいます。新開氏と・・厳しすぎるな・!と感じたものです。でも口ではそういっても新開氏はいつも以上にボールが走っています。それぞれ④-1、④-1、④-0で抑えて箱を抜けました。川上・小野戦はやはり緊張です。新開氏も最初は小野さんを狙い足を止めておいてからセンターに絞るという展開で入りました。川上氏はあまり調子が良さそうでなく、ズルズルと行きました。後半流れが変わりそうだったので、カットサーブに切り替えたのですが異常に切れていてエース2本となりゲームカウント3-1となったのが大きかったですね。あそこで2-2となると分からないところでした。決勝トーナメント1回戦(準決勝)は原田・柿原ペアです。今年原田氏とはもう3回目。できれば彼と打ち合ってもらいたかったのですが、どちら着かずの配球でゲームの組み立てが分かりません。何となくポイントを取れそうで取れない運びとなり0-④で負けました。もっとやることを決めておくべきでした。しかし、圧倒的にこちらが有利なのですから、もっと決めたことをやりきることができなければ勝てるはずもありません。2ゲーム終わったところで戦術の変更も含めて話し合いは必要ですね。この後の決勝は、常久・前川④-2原田・柿原でした。常久ペアは西日本55チャンプの井場・東に④-0とすごいですね。完全に昔の常久さんに戻ったようでした。久松杯では勝ちたいですね、出てくると前川選手が言ってましたので。 2012.8.23 昨晩偶然にCATVを見ていると、ノルウェーの森をやっていました。自分たちの生きた60~70年代の東京、その中でやや特異に生きている人たちとどのような価値観で生きていけばいいのかを模索していた時代の心と体の葛藤を海に漂うクラゲのようなまだるっっこしさで描いていました。その中で人間の多様性と人は色々いるのだということとそれでもその曖昧な生き方や心の変化をする人間の心の底辺に流れる一貫した真実とは・・・なんだろうと問いかけているのではないでしょうか?というよりそれこそが村上春樹氏が追い求めている人の究極の真実であると思います。人は不完全に生きているモノです。これだけ精工に作られた機械ですが、やはり神は完全には創れなかったのでしょう。あるいは人そのものの進化を放任しているということは色々な試行を人に課しているのかも知れないのです。生まれてくる人に2~3%は身体に不自由なハンディキャップを負っているといわれています。生まれて先天的に持っていてすぐ解るものもあれば、成長によって判明するもの、成長によって退化していくもの、があります。これらを総和するときっとかなりの割合の人々が何らかの苦しみを持って生きているのでしょう。誰にも言えないこともあります。それを特定の目で直視して思考を巡らし、悩み抜いてある結論に辿り着くでしょう。それがその人にとっての真実であり世界であるのです。色々な苦しみの果てに人はきっと同じような境地になる・・そうではないのでしょうか? 2012.8.8 オリンピックも終盤に入り次第に残された競技も準決勝、決勝が連日放映されるようになってきました。メダルがかかるから頑張るのではなく、結果としてついてくればいいのでしょうけど、彼らの戦いにはもう一つ違うものがあるように感じます。特に前評判の高い競技や国際的に注目されているものに出場する選手は背負っているものが大きいのだと思います。スポーツは発祥の起源は定かではありませんが、人間の持つ本来の遊び症が発展したものだと考えます。競うということも動物の本能・習性です。自分がどれだけ優れている個体なのかをアピールする。それに勝った人は当然称賛を受けモテル。これは当たり前のことなのです。サッカーやバドミントン、卓球、卓球、水泳などは注目スポーツですから尚更、負ければ厳しいですけど勝てば自分が思っている以上の名誉が舞い降りてきます。人の期待を一身に背負って戦い続けるのはどんな感じでしょう。それだけは解らないですね。シニアの試合でもアジア大会があります。しかし、それはあくまでそこに行っている選手団の中での期待はあるでしょうが、国民全体の重みを背負ってのものではありません。オリンピックに出るということはそういうことなのです。 ただ、ソフトテニスはその位置づけではありません。一生懸命役員さんたちはオリンピック種目にしようとしています。それはもうそれだけで扱いが違うのです。ソフトボールを見ればよくわかります。前回のオリンピックでは優勝しました。その時は新聞も一面を飾り、選手たちもTV出演も多かったですね。しかし最近ではそんなこともなくなりました。今ではどこでどんな大会が行われているのかさえも不明です。そういえばオリンピック前に世界選手権があり何年かぶりに優勝したとどこかに載っていました。それだけ大きな扱いの差がありますが、それがいったいどうなんだ・・と思うのも事実です。 2012.8.6 8/5大阪府社会人大会で東山選手と毎回でています。ダブル前衛というか2人ともまあストロークもできる方なので新しい形のテニスができればという試みも入ってます。前衛が少ないのに、分かれてでたらいいだろう・・とも言われますし、遊んでるんじゃないよ!と手厳しく言われることもあります。でも、僕らは真面目です。八尾からは今回も東西田・渡辺ペア50、松尾・御内ペア45・石井・北口ペア50・高橋・中辻ペア55と5ペア参加しました。その中で東西田・渡辺ペアも元前衛ペアです。八尾は前衛が多く昔から後衛が少ないところでした。シニアになり前衛ばかりとなり、また我々は比較的硬式テニスをしたりした人が多く余り前後衛の縛りには気にしていない人間の集まりでもあります。八尾の中での大会でもダブル前衛のペアがオーソドックスの前後衛のペアとそれほど極端に実力が離れているといった印象はありません。昨日の成績を見てみると、両ペアともリーグは上がれてませんが、後一歩というところです。テニスにはルールはありますが、こうしなければならないという規定はありません。この場合こうした方が良いというセオリーは存在しますが。 でも既成概念に縛られている人も多いですし、こうなんだという頑固な人も多いのです。例えば、裏面を使うのは邪道だとかね。一時は、後衛が前に出てボレーをするよりできるだけ後ろに下がりなさいと言われてましたが、Wフォワードが定着したとたん、誰もそんなことは言わなくなりました。ツイストやカットサーブなども異端児扱いされてましたが、今では普通です。逆に良いポイントではうまいといわれ賞賛されます。時は変わったものです。僕も裏面を多用する方です。このことに関しては今なお偏見を持っている人が多いですが、きっとそれも時代が証明してくれることでしょう。私はその一翼を担い、ノーグリップを支持するものです。できるだけ無理と無駄をなくすようにボールに素直に面を当てること、体の使い方に無理がでるなら合理的な面を使う。ラケット面は両面あってどちらを使おうと制限はないです。体は多くの関節の結合でできていますが、可動域には制限があります。熟練すれば固定されたグリップで器用に処理することもできるでしょうが、それは職人技であって合理的や平易ではありません。多くの莫大な時間を使って一つの技を習得するよりも、ミス無く同じ処理ができる最も易しい方法を身につけるべきだと思うのです。 2012.7.31 今はオリンピック一色です。ロンドンはほぼ日本と反対側なので時差が大きく殆どの競技が深夜に行われます。やはり4年に一度の大会ということもあり、厳正な予選を戦って出てきているだけに皆素晴らしいアスリートです。なんのプレッシャーもなければ全ての選手が横一線に並ぶくらいのレベルであると思うのです。そこは国を背負ったり自分との過去との約束があったり期待と不安と自信とが交錯する世界です。その日の体調や寝不足や環境影響が心に投げかけ、体に影響するものも非常に大きいでしょう。万全を期して準備ををやり通せたもののみが栄光を掴む戦いのスタートラインに立つことができたと言えるのです。アスリートは孤独で不安ですが、その中で不安を打ち消しながら自信と確信に変えながら高みに登っていくものです。孤高とはよく言ったものです。ただ報われる人もいればそうでない人も出てきます。仕方がないことです。戦いとはそういうものですから。自らにピリオドを打つのはやはり自らでしかありません。人の期待のためではありません。自らが表現すべき意志を失ったとき自らテープを切らなければなりません。色んなドラマをテレビは演出します。我々はそれを見ながら成功した人の後ろにあるものを見た気になります。しかしそれはきっと違うのです。彼らが見てきたものや感じてきたものは分かりません。我々が見ることができるのは、彼らが行うその姿だけです。何か解らないけれどもその姿が持っている重みが見ているものの琴線に触れ、引き込まれ時には自然と涙が出るのです。そういうものを人は与えることもできるし受け取ることもできるのです。視覚聴覚触覚ではなく第6の感覚が人には備わっているのだと思うものです。 2012.7.23 最近は東日本大震災のことが少し話題から遠ざかってきたなと思います。でも、まだ傷跡は深く東北の大地は大いに長く続く冷夏を送っているように感じます。昨年の1月に訪れたあの富岡町の体育館はどうなっているのでしょう。そこで韓国の選手と試合をしたDVDを昨日見ました。懐かしさと同時に、ここが立ち入り禁止区域であることが信じられない思いで一杯なのです。何気なくテニスに興じ、寒さで震えながら言葉の分からない友人達と酒を飲み何となく通じるボディランゲッジで笑いあった日があそこではもはや二度と繰り返されることはないのだと思って・・・富岡町の人々はもっと強烈にその思いを抱いていることでしょう。たった2-3日の思い出ではないのです。50年生きれば50年分の、70年生きれば70年分の心に沁みる時の重さではないのでしょうか?時が持っている心への重量感が奪われてしまう喪失感はいかほどのものでしょうか?私は今回偶然にも関西にいて、言い方は悪いのですけど対岸で起こっている火事のようにこの災害を眺めてきました。最初の地震と津波はこれは天災です。想定もできなかった大きさのものかも知れません。人の造ったものがもたらした厄災が無ければ、大勢の人が地震で津波でなくなった・・それは運命だったんだと諦めて行くしか無いじゃないですか。学校の避難の仕方で、訓練の仕方で全員助かったところもありますし、大部分が亡くなったところもあります。過去の教訓で建物の向きを変えたり、一目散に高台に上ったり、過去の教訓の多くが生きたところも数多くありました。ただ、100%ではないんです。そしてあり得ない。その時感じた異変から危機の程度を察知する能力が生死を分けます。全ての判断はここに尽きるのですけど。 私は、人がもたらした厄災は予測できないものなど無いといいたいのです。どこの会社でも今はISO1400というのをやっています。リスクのある施設についてその程度を評価します。その時、原子力発電所のリスク評価はいったいどうなっていたのでしょう?今、保全対策が万全なら、どんな危険な施設を造ってもいいという考えに基づく議論が主流です。ISO14000では環境への影響は、非常事態が起こったらどうなるのかという極めて単純な想定から始まります。何かが起こって流出したら、その規模はどうなるか?それはまず第一に評価されることで誰も言い逃れなどできないのです。もしその評価が間違っていたら、作成した人間の不手際ですし、その評価・監修した人も最低2人はいるはずですから、彼らは知っていたはずなのです。原子力施設に想定外などということはあり得ないことだということを我々は決して忘れてはならないし許してはならないことなのです。 2012.7.22 梅雨が明けたのですけど今年は日本中がおかしいですね。九州ではやっと今日が梅雨明け宣言、大気が不安定なことです。土曜日に奈良では丁度大気の境界線にいたのでしょうか?朝から蒸し暑くいつ雨が降るかな・・と思っていたのです。11時頃、急に空が暗くなり、大雨が来るかなと思っていると少し雨が降り始めその後は急激に温度が下がり過ごしやすくなりました。しばらくそれで良かったのですけど、12時半頃突然ムッとする空気の中に包まれ太平洋高気圧の多湿な空気を感じました。何とか練習時間内は雨が降らなかったのですけど、13時頃からかなり激しい雨が落ちてきました。これは一日雨だなと思いゆっくり食事をした後で大阪に帰ったところ八尾では全く雨もなかったと!?山の反対側では違うものですね。ただこの日は本当に各地で雷雨がありそれのないところでは半端でない暑さと、まさにホットスポットが至るところにあったようなのです。日本の気候もほんとにおかしいですねぇ。。 2012.7.17 7/15三重県の四日市ドームでヨネックス杯が行われました。三重県はいい施設と強力な協賛の会社を抱えいい大会を実施しています。四日市ドームはテニスに特化しているような施設なので、特に利用は多いのでしょう。昨年も新開さんとでました。昨年は吹田スーパーカップの次の日で、疲れていたのを覚えていますが、幸運にもこの大会は優勝することが出来ました。新開さんも調子よく打ち切れたのを覚えています。 今回のペアは毎週練習を一緒にしている堤下さん。彼とは成年の頃一度練習会でペアを組み、いい後衛だなと思っていたのです。歳も一緒、性格も温厚でテニスは大好きです。楽に出来るというのが彼の一番の良いところです。何度か大阪の試合で組んでるのですけど、勝ち切れていませんでした。今回負けが込んでいる自分はその意識が試合ででないように心がけました。競ってくる時が必ず1回や2回はあります。その時にマイナスのイメージを持つとダメですね。幸いにも堤下氏は玉持ちがよく1-2球は凌いでくれます。無理だなと思った玉をドカーンと打ってアウトネットするより遙かに安心ですし、体勢を立て直してガッチリ行けばいいかと思えたのです。そのゆとりは大切でした。また第1試合、谷山・坂本ペアとの試合の1ゲーム目、お互いの攻めとミスとが出て何となく締まりのないものになりました。しかしそれを取るのと取られるのでは大違いです。ジュース3回目、うまく取り切れました。後でビデオを見ると、どうなっていたか解らない試合だったなと思います。決勝リーグに入って杉野・松村との試合も長いものでさらには1-3まで負けていたのをひっくり返してファイナルに。ここでもミスが出ましたが、おそれずポイントを取りに。その気力が勝ったのか、また堤下選手の思いきりの良さもでて逃げ切りです。決してあきらめない。チャンスまでは我慢。チャンスは迷わず勝負に徹する。他はどうでも良いから狙ったポイントは確実に決める。これがやりきれたから勝てたのではないかな・・と思います。とにかく彼も私も久しぶりの優勝でした。やはり良いものですね。暑さでカウントもボーッとして解らないほどでしたし、今までの勝てないんじゃないかとの精神的な不安感や体の疲れが吹っ飛んだような気もしますし。 気持ちが前向きになると、体も動きが良くなります。次の日橿原クラブに練習に行きましたが、よくボールが見えていたなという感じです。奥田会長から久しぶりに戦闘モードに入っていたんじゃないですか?と言われました。最近ちょっとおとなしめでしたのにね。。と見られていたのは、ミスをおそれて守りに入っているので逆に相手にしてみれば攻めやすいのでしょう。相手が決めに来ればイージーに返せないのでミスも出てきます。しかし、攻めにこないでボールを取ることだけに徹していれば1本目取られてもフォローした2本目のボールも攻めに行けます。これが差となって出てくるのですね。 半分半分ねと後衛と区分をしっかり守ろうとします。しかしそれは守りではいけないのです。そこに来たボールは攻めて弾き返す。気持ちはいつもポイントを取りに行っていなければ優しいボールも決めることは出来ないでしょう。テニスは決して引いてはいけないスポーツです。サッカーなどでときどき見られるのですけど、完全に守りに徹するとどんなに強いチームでもなかなか点は取れないものです。広いフィールドで守りと攻めの分担を持っていて通常は同じ同士くらいでオフェンスとディフェンスがいる。少ない人数で守れば穴が多いですから点は入りやすい。攻める方は少ない人数ですからそこに全員で守られたらパスも通らず点は入らないでしょう。そういった良く言えば多様性に富んだ変化があるスポーツです。テニスの場合はそうではないですね。攻める場所も決まっていて攻める人数も守る人数も同じで攻防します。だから一人が小さく萎んでしまえば他の一人の守る範囲は広くなってしまい、半分半分ではなくなってしまうのです。お互いが半分以上を攻めながら守り、守りながら攻めているのです。そのバランスが崩れれば負けです。すなわちそのように持っていけば勝てるのでしょう。 2012.7.13 7/3ゆっくり起きて食事へ。さすがに今日火曜日ともなると、日本人の観光客は少ないですね。代わって中国や韓国の人たちの姿が目立ちます。顔では解りづらいのですけど言葉が違いますのですぐ解ります。今日はどこへ行こうか・・と迷うのではなく最初から決めていたとおり、朝は首里城、昼頃からひめゆりの塔・その他南の観光地を巡ることに。首里城は確かに沖縄第一級の観光地、その趣もあります。守礼の門をくぐり歓会門から坂道を登ると正殿を正面に見る御庭にたどり着きます。赤が似合うという首里城は確かに中国の趣でした。入って右側は少し大人しめの色の南澱で日本風の影響を受け、使節の迎賓館として用いられたと。向かって左は中国の使節の為の迎賓館で北澱。中央が王の鎮座する正殿で色彩や作りなど日本のそれとは全く異なったものです。ただ何となく見たこと感じたことがあるなと思うのは、きっとお寺にその名残があるからでしょう。質素な日本の建物の色彩に比較してお寺はどこか煌びやかです。金箔を貼ったり、屏風絵は豊かな赤や緑をふんだんに使い、坊さんの袈裟も祝い事が華やかになればなるほど鮮やかな赤、緑、紫の衣装が出てきます。これは仏教が中国の色彩感覚を色濃く受け継いでいるものなんでしょう。日本と中国の支配を受けながら巧みな2重政策をとり、国家を維持してきた苦労の様子が窺えます。坂道を下り石塀を見るに付け守るという意識を強く感じるものでした。次はどこに・・と思っていると、広島のがんばろう会の種村さんと岡山の上岡さんにまた出会いました。試合が終わった後、どこに行こうかと話をしていて、次の日も美ら海水族館で会い、イルカショーで会い、大体日程が一緒ですから時間の配分も同じなのですね。彼女たちもそろそろネタが尽きかけて、今度は一緒に行こうということになりました。我々は前日シニア65の徳島松本・宮田さんが識名園に行ってきて大変良かったというので、そこに行くことにしていましたので同行しました。庭園は日本のものとは違い綺麗に刈りこまれているわけでもありません。でも何となく日本の客人を招き茶をふるまった迎賓館なのだと分かります。これも世界遺産の一つですけど、特に素晴らしいものとは言えないでしょう。 そこから僕はひめゆりに行くことにしていました。皆は一度いったからもういいと気乗りのしない様子でした。行くなら一人でね・・と何となく冷たい感じです。出会った二人は行ってみたいとのことで、それならと3人で出かけることにしました。徳島の3人は市場に出かけて魚貝類などを買って、その場で調理してくれるらしいのでそこに行こうということで別れました。3時にホテルで荷物を取って空港へということです。我々3人はそんな訳で南のひめゆりの塔に行くことになりました。彼女たちは明るくケラケラと色んな話をしては良く笑います。聞けば上岡さんは大阪出身、種村さんの母親も大阪で、笑いの遺伝子は十分に宿っているようなのです。車のナビが調子悪く、道をかなり行き過ぎてから指示を出します。そんな訳で少しずつ道がずれて目的地に着くのに結構時間がかかりました。駐車場に車を停めて入ろうとすると献花のお花を売っています。セミが鳴き何となく重苦しい空気が一瞬に我々を取り囲みました。・・・後は最初に書いたとおりです。 この地を去り、何となく明るいところに行きたかったのです。南へ・・しかしそこには記念館などがありました。そこもパス。時はお昼です。食事を取りに、牧場に・・・しかし何となく良くなさそう。風景は風力発電の巨大な風車があり海が見えてまあまあなのですけど。この風車をバックに記念写真を。もう少し走らせると、海の見えるレストランという名の感じの良さそうな・・・と思ったのも束の間、海が見えりゃあいいってもンじゃないのよ!!・・なるほどその通りです。 もう少し走らせると、ガンガラーの谷という看板。そう言えば昨日ここに行きたいと話してたんじゃ・・と思ったら、すかさず、ここに行きましょう!とのことで即決。公園のようなところを抜けると、その先に地下に潜っていくような・・・そこは入り口の前にある巨大な鍾乳洞の入り口を利用したレストラン(軽食ですが)でした。何とも言えない雰囲気と少しばかりひんやりとした空気に浸りながら軽い食事を取ったのでした。幻想的な雰囲気で写真をアートモードで撮影すると・・ここはどこ!というくらい神秘的な写真が撮れました。上岡さんはとてもお気に入り。 さて次は、と思ったのですがそろそろ帰って支度をしなければなりません。買い物もしたいとのことで少し早めにホテルへ。ナビの癖も分かり今度は時間通りに着きました。 買い物は国際通りで色々と見て回りました。でも一杯おみやげがありすぎて良く分かりません。1km以上もあり、そして貫くアーケード一杯の店が火曜日だというのに人人人で満杯です。信じられないくらいの観光客が沖縄を訪れるのです。 17:05分の関空行きで帰阪。飛行機からやがて戻る現実の世界で明日から頑張ろうと徳島の皆さんとと別れたことでした。 2012.7.11 7/2は午前中は沖縄ワールド、玉泉洞に行きました。スーパーエイサーが見られるとのことで期待していきました。エイサーは沖縄の独特の太鼓や歌をを交えながら行う激しい踊りです。地元の若者達が激しく踊る様はスピードあり笑いあり、最後はみんなでエイサーを踊り終わりました。鍾乳洞は岡山には井倉洞・満奇洞などまた秋芳洞は日本で最も有名でしょうか?その当たりにもいってますので特別珍しくはありませんが、沖縄は石灰岩が多く鍾乳洞は多いようです。こことガンガラーの谷は観光地としても有名なようです。入り口は割と広めです。幾千年もかけて作られた芸術は真似の出来ない神秘を醸し出します。ただ、いつも思うことですが、この洞窟に初めて入った人は相当勇気のあった人だなと。。今でこそ通路は確保されその場所の鍾乳石は破断されています。でも最初はどうなっているかどこに続いているかも解らない不気味な穴に誰が好き好んで入るでしょうか。歩いてみると以外に広い内部と外界を模したような自然の造形に改めて驚嘆するものです。洞窟の出口はこの施設の末端で車を停めているところまではかなり戻らねばなりません。帰路には多くの店舗が軒を連ねます。暑いので皆日差しをさけて店を通過して行きます。うまくできています。必ずその店の目玉商品を置いている場所を通るようになっています。果物あり、ちんすこう、ジュースの販売アリ、ハブ酒アリ、陶芸品、民芸品、Tシャツ、紫いもなどなど色々です。暑かったのでグヮバジュースを飲んでみました、、パイナップルの方が良かったなあ。。。 鹿児島組は7/2の夕方発の飛行機で帰るので我々とはここでお別れです。我々は7/3夕刻の飛行機なのでもう少し沖縄を満喫したいと思います。沖縄は私が大学4年の時に海洋博覧会をやりました。本土復帰3年後のことでした。日本に復帰し色々な手も加えられた沖縄に世界中の皆さんを招いて沖縄の自然を知ってもらうイベントでした。しかしながら、世界から遠い沖縄で人はそんなにも集まりません。大阪万博の大成功に味を占め日本は何でも出来るのだという田中角栄の元での良い時代の事業でしたが、密やかに不況の陰が忍び寄って来ていたのでした。この後、オイルショックが始まりガソリンも50円から一挙120-150円時代に入ります。白人主体の世界からオイルマネーを武器にアラブ諸国が世界のエネルギーをコントロールする日がやってくるのです。海洋博の失敗はある意味では、意識バブルの崩壊の片鱗が見えた時だったのかも知れません。その海洋博会場を何とか維持し再興しようと「ちゅらうみ海洋館(美ら海)」が建設されました。やっていることは白浜のサファリパークのイルカショーと海遊館や須磨の水族園のものと大きくは変わりません。私たちがいった時は非常にラッキーなことに餌をやる時間帯でした。ジンベイザメ、巨大なマンタの食事風景がゆっくりとモニターと大水槽で見学することが出来たのです。動物の管理は大変です。何しろ生きているのです。生きる環境を知り、食べるものを知り、病気を知り。。などなど幾多の困難を乗り越えて実現させてきて、さらには巨額の維持費用が必要です。管理する人は休みもふんだんに取ることは出来ないでしょう。労働条件がどうの、と最近のサラリーマン社会では言われます。しかし、こういった職業は機械的に働くこと以外にボランティア精神がなければ決してやっていけないでしょう。教師だってそうです。警官だって、弁護士だって、医者だって、サラリ-マンといえど私が従事している化学やさんなどは8時間で終われば良いでしょうなどとは決していえません。24時間やって初めて8時間を決めることが出来るかもしれませんし、24時間必要だから自動化の設備を入れなくてはいけないね、との結論になるかも知れません。事務屋は自分たちの責任を逃れるために極めて役所的に問題のないように事を進めたがるのです。 大学でもそうなんですけど、最近の理工系の研究室も夜の実験には制限があるそうです。危ないから、責任が取れないから。。という理由で研究活動を束縛しているのです。大学の先生も本当にサラリーマン化すると本質が見えなくなってしまいますよね。残念なことです。 話がすぐ脱線して文句ばっかりになります。ダメですね。さて、大水槽を見ていると大きな魚や小さな魚が泳ぎ回っていますが、小さい魚にとってっはあまり居心地の良いところではないのでしょうね。それはそうです、きっと大きな魚にとっては雑魚は餌としか見れないでしょうから。人が水槽を眺め、優雅だねと満足していても、小魚は実は必死でただ逃げ回っているだけなのかも知れませんものね。 そこから少し足を伸ばして世界遺産である今帰仁城跡遺跡へ。北の地を守る当時の豪族が建てたこの城は、遙か周囲のヤンバルの森に囲まれた山の上にあります。城壁は前にも書きましたが城をぐるりと取り囲み塀をなしています。その上は通路になっていて敵が多く押し寄せてきた時にはいち早く数で圧倒することになっているようでした。この破壊は当時の琉球王朝が滅ぼしたものか、米軍の艦砲射撃で破壊されたものかは定かではありませんが、壊滅的な様相から先の大戦の破壊の跡だと思われます。今は修復作業が進み、やがてはわずかに残った古文書や地図の跡から復元がなされるでしょう。世界遺産とはなんなのか・・・考えさせられる遺跡ではありました。 さて、ここから今日は沖縄の友人のお宅で食事をご馳走になります。沖縄に呉屋和子さんという友人がいます。彼女は高校を出てすぐ八尾に就職しました。テニスのペアと一緒に来たそうです。当時から亀井さん(昨年シニア70全日本3位)と同じ会社であったため、八尾市STAに入り当時の若手と一緒に練習されていたのでした。10年前に私が高宮選手と共に西日本シニアで沖縄を訪れた時、初めてお会いしましたが、亀井さんも一緒で実に親切にして頂きました。暑いからと、クーラーボックス一杯の飲料水から果物、本当に初対面なのにビックリしてしまいました。沖縄の方は皆さん明るく、いつも笑って接して頂いています。人を楽しませてあげようという素晴らしい気持ちを自然に持っておられるのでしょう。10年前に宿泊したホテルのご主人が、日曜日に市場が休みで我々が果物とか名産がおみやげに欲しいけど手に入らないね、といったのをそばで聞いていてわざわざ遠くの市場まで出かけてフルーツと紫いもを買ってきて下さいました。一同感激したことを思い出しました。呉屋さんも試合にも出てられたのですが、今日は夕食をご馳走するということで月曜日を半日休んで頂いたそうです。そして徳島の新開さん、坂井さん、杉内さんもご招待されました。沖縄らしい感じのおうちに入り郷土の手作りを頂きました。サンマと鯛に似た魚の名前はどちらも聞いたのですが忘れてしまいました。でも新鮮なおいしいお刺身とどんぶりくらいある大きなお椀に魚の半身。ご飯とこれだけでおなか一杯です。そこに沖縄名物のスパムと見たことがあまり無い野菜の煮物。。これは何か?当てて下さい、誰もが食べたことのない柔らかい食感。。それはヘチマです。・・・??ヘチマを食べたことがないといったものだから、今日はサプライズでどうしても食べさせたかったんだとのことでした。美味しかったです。それはヘチマ料理というより呉屋さんの料理が上手だったからだと思います。おなか一杯になったところで次はカラオケにと。沖縄の方たちの夜は長いですね。いつも行っているというスナックは飲んで歌えるところと思ったら、食事が次から次へと出てきます。先ほどたくさん食べたので、もう3人ともおなかが割れそうです。新開氏は結構食べる方ですが、ギブアップの感じでした。お酒も泡盛がたくさんあります。度数が高くアルコールを直接飲んでるような感覚がありますけど、やはりストレートかロックが美味しいですね。蒸留酒はあまり悪酔いしないので好きですが、泡盛は独特のキレがあるように思います。自分へのおみやげには世那国の秘蔵の酒40度というのを買いました。喉が焼けますね♪。12時前になり皆さんさすがに疲れてきました。お礼を言ってお別れです。ただ、呉屋さんにはもう少しお世話を頂くことがこれからも出来ました。 我々は日韓ソフトテニス愛好会で現在は東北の震災にあった子供さんたちを中心に支援活動を行っています。今まではワッペンを売り資金としてきました。しかし時は過ぎ1年半近く経って、日本全地域でこのワッペンを購入して頂いているわけではないのですけど、自分たちの関わりのある人たちにはほぼ行き渡ったかなと思います。たくさん協力頂いているクラブや個人で動いて頂いている皆様には感謝申し上げます。ささやかな運動と思っておりましたが皆さんの暖かい気持ちは5000枚のワッペンの販売につながりました。新沼会長は色々と考え、現在では手作りのミニラケットをキーホルダーやストラップにして資金を調達しています。ただ、それもそろそろ限界に近づきました。我々の活動も次第にこのワッペンとミニラケットでは皆様にご協力頂くにももう難しいだろうと考えています。そこで、震災が起きて1年半。最後に皆様の強力を頂き、この冬場を乗り切る支援のための資金を生み出す物品を考えました。実用的でアピールにもなるTシャツを作ろうと思っています。実は呉屋さんの会社はTシャツにプリントをする会社です。高宮氏が亡くなった時思い出にと作って頂いた記念のTシャツを思い出し、製作するにはどれくらいの費用で出来るだろうと問い合わせたところ、そういうことならと安価で製作して頂けることになりました。9月頃には出来上がる予定です。お世話になっている方々にはもう一度ご協力を願いたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。色はライトブルーとイエローです。 2012.7.6~10 沖縄にて、今回初めてテニスの試合に行って観光をしてきました。10年前は50前で仕事もまあまあ忙しく、休暇は前日一日だけで試合が終わるとその日の飛行機でそそくさと帰ったものです。疲れて試合が終わるとぐったりとしてしまいすぐまた次の試合に向けて練習といった日々でした。それが悪いことはないのです。その時の限界なのですから。今回は仕事にもゆとりがあり休暇も取れましたので試合後2日間沖縄に滞在しました。沖縄の本当はそれほど・・・と聞かされていたのですけど、なかなかどうして色々と回ってみると楽しいものでした。まずはレンタカーが安いですね。5日間借り、いろんな保険もついて17000円若。4人で回りましたので一日1000円かかりません。ガソリン代・高速代もも8000円くらいです。5日間の交通費が6000円くらいで周れたのは嘘みたいですね。沖縄は車がなければ何もできないし何処へも行けないところでした。逆に車が当たり前なので経済的にできているのでしょう。 2日もあれば全島を回れるかと思い暇になったらどうしようかなんて考えていたのですけど、その心配はありませんでした。結構一つ一つのポイントまで時間がかかります。その上、施設や遺跡類などもゆっくり見れば2時間くらいはかかりますので、本当にゆっくり本島を楽しむには3~4日必要なのでしょう。急いで回ったなあという感じしか残りませんでしたが、それでも目に焼き付いた光景や印象は決して心から消えないと思います。 沖縄で感じたことは、ここは日本とは違う文化を持った歴史を持った土地なのだということでした。確かに今は日本に属しています。もう誰がなんといっても日本であることに世界中の誰もが認知しているでしょう。ただ領土ということになると、もっと昔からの国の関わり合いで問題はややこしくなります。かつての琉球国は韓国・朝鮮と同じで中国と日本の侵略から身を守るため、主権を維持するために屈辱的ではあるけれども属国化をせざるを得なかったのです。強大な中国とは国力の強弱で支配力も変わってきます。おそらくは強大な一国であるときは文句なく中国の支配下に置かれ日本の出る幕はなかったでしょう。清の時代後半は中国は西欧諸国列強の餌食となり弱体化します。日本の薩摩島津藩の支配下に置かれたものと思われます。明治になりそのまま日本の国力が中国より大きかったため沖縄は日本に統合され一県としての位置づけとなっていったのです。ここに日本との文字言語統一がなされてきたために沖縄の日本化は進んで来ました。今ではそこに住んでいる人たちの意識も当然日本で、自分たちは日本人以外の何者でもないと彼らはいいますし疑いも持っていないでしょう。中国だけはその過去の統治時代を言い出しては沖縄は中国のものだと言い張っているのですけど。最近の中国の国力が増してきているだけに、彼らは強気です。特に少数民族など虫けらにしか思っていないのではないかと思える中国政府には何か得体の知れない不気味さを感じます。数がモノをいうのだという論理はどこの世界にもありますけど、危険なことです。 首里城は日本の城のように天守という感覚ではありません。北の方にある今帰仁城跡もみましたが天守に当たる居住区を石垣の城塞が囲っています。石垣の上は移動できるようになっていて、行ったことはないですが万里の長城の城壁によく似ているのです。昔は町全体を城壁で囲い、住民全体を守った城壁国家だったのではないでしょうか?他民族を捕らえると皆殺しにするか奴隷とする外国の慣例は沖縄には強く根付いていたでしょう。日本のように領主毎鞍替えということではない残忍性の中に暮らしていたのではないでしょうか?南部のひめゆりの塔に眠る女学生たちの集団自決、洞窟や壕の中で捕虜になることをおそれて自害したり火炎放射で焼かれたりしてもなお、投降を拒否した人たちの心の底にはきっと過去からの他民族支配の残忍性に対する恐怖心があったからからなのでしょう。人は残忍性を秘めているモノなのでしょうか?世界中のどこでも大量虐殺や迫害が後を絶ちません。悲しいことです。 南の地には悲しい場所がたくさんあります。米軍は人の住んでいない北部に上陸し、南に移動していきました。自ずと南の地が決戦の場となり、悲惨な歴史が多く残りました。ひめゆりの塔・・というのですが、病院の地下壕の跡があるだけでした。しかし、重苦しく空気がよどんでいます。あの8/15毎年盆の送りで田舎に帰り墓参りをしますが、沈みきった空気と蝉の声、ヤブ蚊の攻撃と暑さが交差しています。線香のにおいと母の念仏がいつも心に残っています。車を降り立った時、同じくその空気を感じました。一昨年知覧を訪れた時、ここは墓地なのだ・・という感想を残したのではないかと思います。それと同じものを肌が感じ取りました。知覧では兵士たちがまだ故郷に住む人々を救うのだというギリギリの線での前向きな緊張感がありました。良い悪いは別にして、若者の純粋さを汲み取ることができました。だから資料館にもまだ入ることができたのです。でもここでは資料館にはいることは出来ませんでした。彼女たちは追いつめられていたのです。何の希望もなく、四方からの砲弾の圧力に軍靴の響きに、戦車の音に自分たちは押しつぶされていった。そしてもうどこにも行けないあの地下の壕で、彼女たちは死を選んだ。 その悲しさはきっと僕たちの想像を絶するくらいに絶望感だったと。それ以上進むことが出来ませんでした。隣で修学旅行に来ている高校生たちが神妙な顔をしてガイドさんの説明を聞いています。明るい彼らはどう表現して良いのか解らないのでしょう、ただ黙ってくらい壕を覗き込んでいるだけでした。突然、・・黙祷を御願いします・・とガイドさん。良いタイミングでした。呆然としていた僕たちに救いの祈りの時間でした。 黙祷が終わった時、誰も資料館に行こうと言いませんでした。その重苦しさをこれ以上体に覚えさせなくても良いのでは・・と。 重苦しい話だけではありません。総じて楽しい遠征+旅行でした。思えば試合に来て観光旅行などしたことがなかったのですから。テニスは仕事・生活の余暇を利用して来ています。いつもギリギリの時間の配分で現地に行きそして帰る。何もそんな遠くでやる必要はないんじゃないの・・という声が正しいのかも知れませんね。でも主催者側も同じところでの負担を軽減し均等化を図ることも考えなくてはなりません。今回のようにいつもゆとりがあれば旅行をかねて出かけていけます。 日曜日、試合が終わりました。一緒に行っていた仲間たちの成績は総じて良かったです。鹿児島からは、迫・岩崎、福留・豊巻いずれも3位、篠辺・松村2位、坂井・杉内2位、我々は残念ながらまた来年期待です。 試合が昼過ぎに終わったし、とても日没がゆっくりしているので、どこかへ観光に行こうかということに。遠くには行けないのでうるま市近くの観光スポットへ出かけることに。では・・そこはツアコンダクターとして最近優良添乗員と自負している新開氏に選定をしてもらい、海中公園からぬちまーすの工場見学はどう?とのこと。我々は何がなんだか解らないのでそこは従うまでです。高速を走るより下道でも時間は変わらないのでそれじゃあいってみようかと車を走らせます。その前に昼飯食べてないことに気づき、まずは腹ごしらえ、途中のイオンで何か食べようと。入ったところは中華料理、結構中華ものは多そうです。量が多いこと、冷やし中華を食べましたが一杯でした。そして3時過ぎになりましたが日は高くまだまだゆっくり出来そうです。海中道路は景観もよく本当に沖縄に来たのだと思えた瞬間でした。遠浅の海は何ともいえない青みがかった乳白色が続きます。海の中遠くまで人が歩いていってます。水着なんかは皆着ているのですけど、その上にTシャツを着ています。この日差しではきっと水ぶくれになってしまうのでしょう。海岸ではいかにも安そうなTシャツを売ってます。海水にぬれたらそこで使い切りくらいの感覚でしょう。ヨットやボートもゆったりと浮かんでいます。珊瑚礁を超えると透き通った深い青、マリンブルーでしょうか続いています。青が濃くなったり、群青色に変わったりそれは確かに沖縄のイメージそのものでした。来てみるとなんだこんなものか・・とガッカリすることが多いのですが、ここは違います。のどかな南国の海岸が続いているのです。海中道路を過ぎて島の中に入っていきます。ぬちまーちゅの工場へ見学に。。海水を噴霧して温風で気化させ塩を取り出します。これはスプレードライですね。適度な温度で行うために海水組成がそのまま濃縮されます。75%程度がNaCl その他はカリウム、マグネシウムその他多くの海水成分の塩が25%も入っています。加熱し分解しないのでいいようです。試食?の塩は甘い感じのものでした。電気分解でつくった塩や天日干しでつくった伯方の塩など・・に比べると柔らかい味です。勝つための塩とちんすこうをおみやげに買いました。工場の裏にパワースポットがあるというので行ってみました。あまり信じない方ですが、その近くに行くと信じられないくらいの暑さで汗が急激に噴き出ました。誰かは手が痺れたとも言います。岩崎さんが喘息にかかっています。治ればいいのですが、少しパワーを頂きたいと頼んできました。この近くの丘から海を見ると本当に素晴らしい。入江は浅く下が透き通り岩肌や海底の砂や深さの変化まで綺麗に見て取れます。沖に出るとマリンブルーから群青色そして緑がかかってきます。白からミルク色、淡いブルーからマリンブルーに緑を交え波は静かに寄せては返します。幾千年もの間この光景を見続けて繰り返し繰り返し時は過ぎてゆきます。それに比べると我々の営みなどほんのわずかな波頭の一つにも敵わないちっぽけなものではありませんか。この海を人の欲望のために、または強弱関係を満たすための道具として破壊してしまうことがいったい誰に許されるというのでしょうか?普天間から辺野古へ・・などと簡単にいいます。辺野古は海上だからいいんじゃない・・などとも。しかしこの自然を壊すことにやるせなさを感じます。大阪高石の堺泉北工業地帯をつくるために羽衣海岸は失われました。天女伝説もあった美しい遠浅の海は一大コンビナートに変貌しました。市は小さいながらも裕福な財政で独立を保っています。堺からの合併を撥ね付けるだけのお金があるのでしょう。しかし引き替えに自然と歴史を捨て更に安全を捨てたのです。沖縄のこの美しい光景が今はふんだんに見られます。しかし、それを失っていいのでしょうか、失うことに来たるべき姿が想像できるだけにやりきれないのです。 帰路、島を結ぶ橋の上からの景観を楽しもうと車を止めました。本当はいけないでしょう、止めないで!と書いてあります。でも交通量も少ないので少しだけ・・とやはり絶景を楽しみました。橋桁の上に四人の高校生?若者達が屯しています。どうやらダイビングをするしないで度胸を試そうとしているようでした。経緯は分からないのですが一人が飛びました。そして次々と飛んでいきます。最後の一人は橋の上から飛ぼうとするのですが1度2度姿勢を戻します。恐い!と叫びました。やめるかなと思ったのですが、急に目が真剣になりキラリと輝いた瞬間飛びました。それは決断の瞬間でした。思わず切ったシャッターは彼のダイブを見事にとらえていました。僕たちは海中を泳ぎ岩場にたどり着いた若者達に拍手とありがとう!とエールを送りました。彼らは少し照れながら手を振り替えし岩場に消えていきました。道を振り返ると、おっ、パトカーが迫り来る!!一目散に逃げ帰り帰路につきました。いい1日でした。 2012.7.5 まだ旅行疲れで体が怠いのが現実でなかなか抜けないものですね。 昨年から今年にかけてずっと2位が続いています。もう勝てないんじゃないかと思ったりもします。負けが込むとそういう心境になるのですね・・などと言っている自分に・馬鹿じゃないのか・と思えてきました。それは僕がこのシニアの世界でやろうかなと思った頃のことを思い出したからなのです。今朝、小早川さんに・勝負は時の運だから勝ち負けはやってみないとわからんですよ、1本が明暗を分ける、だから練習するのでしょう・と・そして最後に・楽しいテニスができればサイコーです・というメールをもらいました。そうなんです。僕が目指していたものは何であるのか、それをやれば良いだけのことなんです。人というのは怖いものです。もちろん基準がありません。自分の基準は今の基準、過去からずれていってしまいます。でも緩やかであるだけに気がつかないで知らない内に迷子になってしまいます。どうしようもなくなってしまった時、やっと我に返るのでしょうか?今沈んでいる人が復活してきた時が一番怖いです。一回りも二回りも大きくなって立ちはだかってきます。飛ぶ鳥を落とす勢いの新人も怖いものがなくやはり怖い存在です。どちらにも共通していえることは、楽しんでいる・迷いがない、ということなのでしょう。試合に出かけることが楽しくて楽しくてしょうがない。それ以外のことなんか何も目に入らないくらいコートとボールが友達なのです、そんな時は。それが体を前向きに、心も前向きにさせてくれます。そして素直になっていきます。物事を単純に考え、やりきることに集中していけばきっと良い結果が自然とついてくるのでしょう。僕もそういえばと思い当たることが多いのです。前衛は、取ろうと思えば取れないでボールは逃げていきます、取ろうとしなければ自然にボールは自分のところに集まってきます。いつもではありませんが集中力が高まるとそんな感じです。最近は欲が強すぎて欲しい時ボールが手のひらからこぼれます。やはりそれだけ心が見透かされているのでしょう。風のように、空気のように、暖かい太陽のように、そんなテニスをしようと思っていたのに、いつの間にか北風のように無理矢理マントを吹き飛ばす・そんなことをやっていたのではないかと思ってしまったことです。 2012.7.4 沖縄から昨日帰ってきました。沖縄は梅雨が明け10日以上過ぎて、照りつける太陽は厳しく体を叩くようでした。コートの上は外と違い5度以上は高いでしょう。入ったとたんにムッと熱気が押し寄せます。一瞬たじろぎますがそれでも気を奮い立たせて入ります。10年前よりかはやりやすい感じです。6/29の練習段階ではいろいろと調整をしてみました。何とかいけるのかなと思ったのですが。次の日のドローを見るとリーグに井場・東ペアがいます。我々はここに勝率が悪くここずっと連敗です。積極的に攻めていって引かず2-0までリード。ここを引いてはいけないと思えば思うほど最近は引いてしまいます。保身に走るのでしょうか?相手のミス待ちに入るのでしょうか。ボールが緩くなってしまいます。最初に全てを出し過ぎると4-0で勝たない限りは手がなくなってしまいます。5つも6つも手があってこれがダメならこれでいこうと千手観音ではないですから、虎の子は大切にしなければなりません。手数が少なければやり通せなければ勝利は来ません。一つしかなくても良いのです。それをやり通したらきっとその方が勝てる確立が高いのです。先ほど箕面クラブ西日本シニア優勝の福谷さんのコメントを見ました。・・ネットしようとアウトしようと相手に取られようと、大事なポイントでそれが打ち切れるように気をつけて打ったと・・。その通りだと思うのです。前衛も取りにでたときは最後の10cmを絶対に残してはいけない。そこを残すから負けてしまうのだと小早川氏と話した記憶があります。でたら絶対その先は通らないのだと思えば逆の半分を取りに行けばいいのです。後衛も迷いがなくゾーンポジションに移れます。今、僕もまだ迷いがあります。抜かれたらどうしようというマイナーな考えが頭をかすめるとボールは逃げていきます。1/100秒以下の世界でせめぎ合っているのですから。結果はそこから逆転されて3-④の負けでした。しかし3ゲーム目はデュースから4回のポイントを決められず2-1に。4ゲーム目もポイント3-0から3本を取れず追いつかれて2-2になってしまったのです。うまくいけば④-0、悪くても3-1で突き放せばきっと勝負あったというところだったでしょう。そこが今の我々の弱さです。先ほどの福谷さんが言われていたことを我々も勝ったときはやっていたはずです。それができなければやはり勝利はありませんね。 2012.6.28 蒸し暑く曇天が続きます。梅雨はつゆらしく、夏は夏らしく・・それで良いのですけれども。 2012.6.25 今週末には沖縄に行くのだと思えば時の経つのは早いものです。前回沖縄での開催はシニア45出場。高宮選手が健在で、暑い沖縄を2人でフウフウ言いながら回ったものです。うるま市の県総合競技場には広い公園内に当時はクレーのコートがありました。最近全面改装とのことでオムニになったようです。近くにはドームもあり一部はそこで行われます。公園内の立て看板は「ハブ注意」公園の木立には多くの蝉が競争で鳴いていました。会話ができないくらいの激しさだったことなどを思い出します。梅雨が明けて数日後のコートには陽炎がたち、相手の姿がゆがんで見えます。地面からの立ちのぼる水蒸気で、まるで蒸しパン担ったような錯覚。暑さと湿度で呼吸ができなくなりました。ラリーは10分で終わりました。初めて経験する沖縄の灼熱・・強烈な太陽の洗礼でした。 今回はどうでしょう。。10年前と違い、歳もとりましたし大阪から沖縄に行く顔ぶれも代わっています。55歳では私と谷尾・杉野ペアくらいでしょうか?兵庫は少し多いような気がします。奈良からは中村・鶴岡ペア。岡山、広島からは思いつきません。山口は1ペア。。など考えても20ペアいるかどうかという感じですね。しかも出てくる相手は皆強く、狙ってくるでしょう、そういったペアしか来ないでしょうけどね。 2012.6.18 芦屋オープンが終わりました。結果は2位。最近の定位置でしょうか。後衛さんが色々変わり、それもいい後衛さんで僕以外の人と組まれれば優勝しているのではないでしょうか?それだけ自分が決勝戦での覚悟に欠けているということなのでしょう。決勝戦はチャンピオンゲームと言われ、文字通りチャンピオンを決める戦いです。その一戦を戦うためにトーナメントに参加し、そこで相手を叩きのめすかフラフラになり辛勝するかは別として、その戦いに勝つことは最終の詰めです。でもそれが取れないのです。この4月に入ってからの試合は3位と2位ばかり。それでもいいのではという人もいますが、それはやはり違うと思います。1位と2位の差はあまりにも大きく遠いです。数字の上では表せない空間がそこにはあるのです。 とにかく、その集中力というか一向さというかそういった気持があまりにも希薄であるなとやっている自分が痛感します。それでは見ている人もきっと分かるでしょう。何だかおかしいな・・と。僕自身は技術を気迫とか集中力で補ってきた積りです。それが無くなってしまえば本当にタダの人にほかなりません。きっと自分のテニスの魅力も無くなってしまうと思います。何かのきっかけなんかではありません。自分が自分をわかった上で乗り越えるしかないのですね、きっと。そうすればもう一段自分を高めることができます。 2012.6.8 梅雨に入ると、一気に不快感が高まります。毎年のことですがこれには何時まで経っても慣れません。湿度が80-90%ともなれば体中から汗が吹き出し、特に私は顔からの発汗が多いので暑いと尚更感じるのでしょうか? 昨晩は八尾市の体育館で練習がありましたが参加者は3名、誠に寂しい限りです。最近はコート事情も良くなって、土日にはほとんど毎週市民トートが確保されています。更にローカルや連盟、市対抗戦、市民大会のオープン化などで試合数も多く、ことさら夜間に練習する必然性もなくなってきているのでしょう。サーフェスも違い体育館での硬い床では膝にも多くの負担がかかることは事実です。でも僕は体育館のこの練習はずっと続けていきたいし、守っていくのだと思うものです。八尾市STAには過去30年くらい前まではホームコートと呼べるものはありませんでした。設立当時から、会員が所属している企業のコートを借用したり、中学高校のコートを借用して大会や練習をほそぼそと行なっていました。私が入会した時も、当時本町にあった教育センターの2F体育館が唯一の確定した練習場所でした。1面で週一回、20-30名の老若男女といっても殆どが一般男女でしたが、次々とやってきて3時間ほどをみっちりと基本練習をして帰ったものです。精神的にはいい時代であったと同時に、飢餓状態にあったためコートや練習場所に対する思いがことさら強かったことも事実です。裕福になるとそこにあることが当たり前となってしまい、価値が分からなくなっていくものです。昔のことなんかどうだっていい、自分たちは今に生きているのだから・・。たしかにそうなのか、いや違うと思います。親がいなければ自分も存在しません。良い親であろうとなかろうと人は途切れなく続いてきたからこそ今の自分があります。どんなものもデジタルではあり得ません。人の世は常にアナログなのです。たとえ突然変異でなにか新しいものが発生しようと、それはそれで一連の流れから発生したアナログの産物に他ならないのです。大切にしたいと思うのは私だけで構わないのですけど、続いて欲しいと願うものなのです。涙ぐましい先輩たちの努力で得られている権利です。無くなってしまったらもう二度と手にすることができないものです。投げ出してしまうのは簡単です。何かを続けることはどんな小さな事でも大変難しいです。だけど続けて欲しいのです。訳が分からなくても、うっとおしいと思ってもそれには大きな意味が込められているんだということをわかって欲しいんです。目的が変わってもいいでしょう。ジュニアの練習でもいいですし、改めてフォームを見なおしたり基礎を勉強しなおしたり、そういった場所でもいいです。高校生で、ジュニアからやっていたけど高校の練習では物足りないので技術を上げたいでもいいです。中学校にソフトテニス部がないからココで練習したいでもいいです。何らかの目的で、今ある施設を使う権利を有効に活用したいと思うものです。 2012.6.6 太陽表面を金星が横断する金星食が今進行中です。しかし小さな太陽の表面を拡大する望遠鏡でもなければとても見えない現象です。次に見られるのは105年後ということですが。。ただ、やはりこういったことは興味の対象ではあっても、何ら人間には影響があるわけではないですね。星占いではイヤそうではない!こんな星のめぐり合わせの時は何か通常と違うことが起きるのだと、まことしやかに語られます。誰にも偶然をにおこる自然現象から人の間の関わりや心への影響を予測することは出来ません。強いて言えば、現象の変化を予測できるようになって、そのことに関連して起こった事象を重ねあわせれば、統計的な処理ができます。ただ、世の中ではほんとうに様々なことが起きていて、自然現象とそれらが対応していたとしても1:多現象ですから、関連があるとは言えないのです。世の中に何もなく、星の移動と地球の変化が1:1で対応しているなら、話は別なのですけれど。 さて北九州の穴太ドームで毎年開催されるシニア西日本大会が6/10にあります。今年は例年より少し早い印象ですが、第2週には変わりありません。いつも一日前に行って練習しますが、梅雨時なので天候が心配です。気持よく晴れてくれればいいのですが。 2012.5.22 昨日は数百年ぶりに日本列島の太平洋岸で金環日食が観測されました。前日の夕方から雨も降り、天気予報では曇りとのことで殆ど諦めかけていました。観測時間は朝7時15分頃で丁度東の生駒山系から昇った朝日を月が隠していくことになります。出勤前の静かな時間です。余裕もあるしベストではありました。 朝起きてみると何と太陽が顔を出しています。何の準備もしていなかったので、慌てて黒いポリの袋を探しました。丁度スポーツシャツの入れ物が厚手の黒い袋でした。余り直接太陽を見てはいけないので、先ずは2枚重ねて見ると全く光を通しません。それではと1枚にすると綺麗にぶ右上から部分的にかけている太陽が見えます。小学校4-5年生の時、岡山の古里でも部分日食が見られました。その時は磨りガラスに蝋燭でススをつけて真っ黒にして見たものです。その時は欠けた太陽が見えましたが、印象に残っているのはそれくらいで感激がさほど感じられなかったのです。きっと私には天文学者になる素養は無かったのでしょう。ただ、月の満ち欠けや星座がよく見える土地で育ち、夕方遊び疲れて帰る道すがら空を見上げれば多くの人工衛星が飛んでいるのが見えました。その頃はまだそんなにも無かったと言われるかも知れませんが、じっと草むらに寝ころべば、かなりの速度で空を動いていく衛星が見えたものです。空に興味が無かった訳ではありません。子供は知らないものに夢を見て手を伸ばして取りに行こうとします。幸せなのかどうかも分かりません。でも未知へと体が行ってしまうものなのです。それが人を時間という方向軸の未来へと進ませている原動力なのでしょう。 さて予定時刻の数分間、綺麗な黄色のリングと中にまん丸い月がすっぽりと入った日食を見ることができました。不思議な光景です。もしも小学生の時これを見ていたならば、私の人生もヒョッとしたら変わっていたかも知れません。それくらい美しい光景でした。これから来たるべきover60に私が何して人生を充実させていくのか・・新しいことを始めても良いですし、過去に興味を持っていたが知らない間に年月の彼方に消え去ったものにも掘り起こして会いに行けるやも知れません。そう考えると、良い未来が待っていそうな予感がします。 さて、西日本シニア選手権まであと40日余りとなりました。今年はおそらくシニア55で出る最後の年になるでしょう。新開さんと組み、今のところ優勝1回、3位2回です。新開さんは東西対抗に10回出たいと言ってます。あと1回出られれば夢が達成ですね。協力を惜しまないですが、厳しい戦いとなりそうです。やはり最上級生になり1年生達のパワーにはなかなか勝てないものがあります。今年の成績も見事にそれを反映しています。同期生達の厳しいバトルに勝ち、上がってきたばかりの活きの良い人達を制して勝ち残ることができるでしょうか?体力と技術力・加えて沖縄の暑さが敵となることは間違いありません。熱中症にならないよう気をつけてやりたいものです。 皆さんは、背筋の衰えを感じたことはないですか?私はこの2年くらい悩まされ続けています。肩こりとはまた違い肩胛骨の内側の筋力が張って仕方がないのです。マッサージに行った直後は良いのですが、一晩経つと寝ていて起き上がれないくらい背中に痛みが走ります。先月末から試合が続き疲労も最高潮なのでしょう。東西対抗後は練習をしても何となく練習していてもボールについていくのがやっとという有様です。レシーブしてもワイヤーに弾かれる、ファーストサーブのレシーブに抑えが効かずアウトしてしまう、ボレーをしてもフォローされる、スマッシュ打っても何本でも返される・・体幹に力が入っていないのですね、きっと。昨日肩こりの根本解消法は、肩胛骨に付いている多くの筋肉を解し、血行をよくしてリラックスさせることだというTV番組をやってました。うすうすそうだろうとは思ってましたが、私の背中のコリもそれに準ずるものでしょう。肩胛骨を動かすと右が痛いです。左は利き腕なので良く動いているので、背中の張りも少ないようです。本当は水泳が良いのでしょうけど、今はちょっとまだ行くだけの余裕がありません。次年度は考えましょう。取りあえず、右の肩胛骨をしっかり動かして背中の2本の大きな筋肉を解し、その後痛みが無くなったら少しずつトレーニングをしていこうと考えています。筋力をつけることの前に、姿勢を正しく、柔らかい体をつくらないといけないのかも知れませんね。 沖縄に出発するまでに取りあえず今の筋力でベストな状態にもっていき、皆さんと全力を出して戦い良い試合をしたいと思います。自分のパフォーマンスを出せたら、そしてその結果ご褒美があるならそれで良いと思います。 2012.5.9 副会長の南野さんが他界されました。八尾のコートの番人、テニスが好きで暇があればコートに出て誰とでも相手をして頂いてました。晩年は新人の中学生やレディースの相手をして下さっていました。負けず嫌いで誰とやっても絶対に勝ちたいというところがあり、女性にはいい練習相手ではありました。50肩でテニスができなくなったときはさすがに堪えたのかコートから姿を消し、それまで見向きもしなかったゴルフにのめり込みかなりスコアを上げられていました。2週間前くらいに東山理事長と自宅のゴルフ練習場で一緒に練習したと言ってたばかりでしたのに。 私が八尾の協会に入れていただいたのはもう35年前の事です。当時25歳、南野さんは一回りほど上ですから37-8歳でした。今から考えると成年に成り立てでボールも早く一般の選手としても全く遜色なかったのは、やはり若かったんだなと実感します。しかし当時はこのおっさん、何なんだ!というくらいに思っていました。腕も達し口も達者です。会社をまだ5人くらいで始めた頃でしたので自分も動くことが好きでたまらないといった感じでした。今では130名前後を抱える八尾でも大きな会社に育てられました。明るい人柄とエネルギッシュな前向きな力の結果ではないのでしょうか? どうか、コートに遊びに来て下さい・・なんて言わなくてもきっといつも来てるんでしょうけど。 2011.5.8 5/5は前日の寒い風のある天候とはうって変わり快晴のこどもの日でした。朝、連休中ですので事故や行楽地への渋滞を心配して少し早めに出かけましたが例年のこどもの日と同じく意外と道は空いていました。阪神高速東大阪線から神戸線で三宮で降り山麓バイパスからしあわせの村は家から50分でスムーズでした。今日も皆さんと楽しみたいといつも試合の前はワクワクです。早く到着したので、お世話になっている浜本会長と大塚氏に東日本支援活動へのお礼と今回の支援ワッペンの大会での販売協力に感謝を伝えに新沼氏と出かけました。神戸は17年前に大震災がありその時の日本中からの支援があったことを神戸山手クラブの皆さんは忘れてはいません。積極的な物資の支援から支援の資金を生み出すワッペンの販売活動に至るまで暖かく、そして一年経った今も風化することもなく協力していただいています。復興には数年がかかることを神戸の皆さんはよく知っておられる。今でこそ昔の神戸に戻っています。しかし、震災後の数年間は神戸は文字通り灯が消えた町でした。阪神高速を通り夜神戸にさしかかっても町全体が暗く以前の明かりとは全く違った雰囲気でした。3年以上経ってからやっと少し戻ったんじゃないか・と感じることでした。実際に暮らしている方々はもっと切実に体感しておられたでしょう。だからこそ黙々としかし何だか優しいまなざしで私たちに接していただけるし同じように動いていただけるのかも知れません。きっとそうなのでしょう。 夜の懇親会(打ち上げパーティ)に新沼氏と共に参加させていただき皆様と接してテニスだけでない一面や話したことのない若いメンバーや諸先輩方と親交が深められたことに改めて感謝したいと思います。 さて、試合の方はというとまたまた団子状態の厳しい戦いです。神戸まで来ると岡山、広島、鳥取、四国と一挙に西からの選手が多くぐっと層の厚さが出てきます。毎年この大会は伝統もありますがそれだけではなく選手の質の高さから素晴らしい格式があるものだと思っています。ローカルの大会の中でも55~59歳の分で28ペアを集めるのは至難のことではないでしょうか。昨年この大会は決勝で原田・東ペアに負けました。今年は是非とも雪辱したいと思います。リーグには高木・水谷ペアがいます。高木さんのサーブとストロークはなかなか脅威があります。左特有の逃げる球は向かって来られると嫌なボールです。1ゲームを簡単に落とし、2ゲーム目が長く縺れたのですが、何とか取れました。ここを落とすと嫌な展開だったですね。そのまま立ち直って④-1でした。次は上のブロック4組から抜け出した森岡・藤村ペア。松浦・松村ペアが来るかと思いましたが、松浦氏が余り打てず勝ちきれず。森岡ペアとは今年1月のへそオープンで3-1から逆転負けを喫しています。ストローク力はかなりある方ですが、普通にいけば大丈夫と思っているのですが。どっこいこちらの調子も万全ではありません。縺れてファイナルに・・これは今年のへそと全く同じではありませんか。ここで連続で負けると今後に影響します。藤村氏は今年西日本全日本と原田氏と組みます。割とあっている感じです。藤村氏とはすでに今年4試合目の対戦です。ここで叩いておかなければならない相手です。ファイナルも一進一退でしたが、大事なところで藤村氏のミスが2本出てそのまま逃げ切りました。疲れました・・。準決勝は川下・中上ペア。先日の東大阪は体調不良もあったのか本調子ではありませんでした。今日はヒョッとしたら攻めから来るかと思ったのですが、大当たりで一本目のサーブからサイドパッシング。決め打ちでしょう。迷いがありませんでした。2-2から2回目もきっと来ると思いサイドのみを待っていました。その通り来ました。しかしボールが低くサイドアウト。次もレシーブリターンをスマッシュしたのがフォローされてやさしいボールを深く返してバックアウトでゲーム。これ以外取れていたポイントをイージーミスが重なり落としました。やはりこういった簡単に落とすゲームが我々にはあります。やさしいボールを大事にしてミスをするというのは技術的に未熟ということです。反射神経でできるプレーはその人に備わった天賦のものかも知れません。しかし誰でもできることを確実にこなせることがテニスには必要なんです。1のファインプレーより10の目立たないけど確実なプレーをすることが良い選手だと思っています。この試合のキーはGC1-1で迎えた3ゲーム目2-0から私のサーブポイントで2-2にしたことでしょう。しかもDFでは痛かった。結局流れがこちらに来ていたのに川下選手に息を吹き返させ、逆に新開選手がその勢いに押された感があります。つまり前衛の不用意なプレーが引き起こした結末だったということです。後衛も前衛もミスが出るのはしょうがないです。相手も渾身の気持ちで打ってくる、それが完全に返球できれば皆がチャンピオンです。しかし我々はアマチュアである上にそこまで練習に時間を割いているわけでもありません。何ができるかといえば、優位なときその流れを乱さないように風の方向を変えないようにする・それが前衛の役割です。あるものはボレーを取りに行き優位なカウントにする。あるものはじっくりと陣形を整え不用意に攻め込ませないようにして、網を張る。色んな考えでペアはその風向きをもっと自分たちの方へ引き寄せようとします。そこを失敗してはいけない。そういった戦いをしているペアと一発勝負で前後衛がコートを走り回っているペアとでは随分と違うものです。見ている方もやっている方もきっと解ると思います。私も早くその域にいけるようにもっと努力します。今年は試合の解析をもっともっと十分に行ってテニスをもう一つ上の心で楽しめるようになりたいと考えているところです。 結局試合はポイントを締められ長い試合にもかかわらず1-④で負けました。私のせいで負けた試合でした。後衛を殺してしまったのです。次はまた川下さんを研究して戦いたいと思います。反対の山からは8決めで中村・鶴岡ペア3-④男座・川本ペアでした。男座ペアは原田・東ペアに0で負けました。準決勝は八代醍・岩切ペアをリーグで準々決勝で松本・荒川ペアを破った渋谷・松林ペアを原田ペアは2で下し決勝は原田・東④-0川下・中上でした。見ていて一方的といった感じの試合でした。原田選手の丁寧さと東選手の確実なスマッシュと思いきりの良いボレーで2連覇です。東選手は目立たないけど出る試合は最近全て優勝しています。こういった選手を崩していかねばならないと、またファイトが湧いてきますが・・・この連休の試合はとにかく疲れました (-_-) 2012.5.7 5/28から長期のGWを過ごしました。今年は天候が不順で雨が多く、また風もいつになく強かったのです。と思っていたら5/6につくば市や真岡市など関東平野の真ん中では竜巻が起こりました。映画のトルネードで見た光景そのままの龍のような光景、いろんなものを巻き込んで地表の建造物や木や全てのものを巻き上げていきました。最近では携帯電話のカメラの映像が素晴らしく良いので余り違和感がありません。情報も瞬時にTVにWEBに掲示されます。悪条件が重ならないと、こんな竜巻は起こらないのでしょう。私が竜巻が起こったのを聞いたのは2年前の私の古里、岡山県の美作市での出来事でした。内陸部で起こった竜巻で屋根の瓦が飛び、軽自動車が50mも飛んでしまったりとひどかったようです。丁度小学校からの地元の友人がその30分後に現場を通りましたが迂回せざるを得ないくらい道路にいろんなものが散乱していたようです。参考のために、その日もすごい夕立で突風が吹いていたそうです。そしてその一週間前から、車のフロントガラスが割れるほど大きな雹が降り、天候が荒れ模様であったとのことです。今回は被害が大きく、気象庁は天候を素早く解析し、原因について話していました。関東平野の地表では暖かく25℃以上の夏日となっていた。そこに大陸から-40℃の寒気が上空に入り込み急激に上昇気流が発生して積乱雲ができた。そこに南から追い打ちをかけるように暖気が侵入し、強大な上昇気流が成長を続け竜巻となった・と。そこまで解っているなら、もっと竜巻注意報がでるとか何か方策はなかったのではないでしょうか?思えば2年前の岡山の竜巻やその一ヶ月後に発生した館林での竜巻をもっと真摯に解析していれば、この気象条件なら危ないのではないかと予測はできたのではないでしょうか?地震などよりももっと確率高く当てることはできるような気がします。ただ。予測できたとしても今回の映像を見る限り、対策の打ちようはなさそうです。どちらに逃げても気圧の低いところに向かって竜巻は流れるだけです。そのスピードは速くとても人が逃げ切れるものではないでしょう。本当に人は無力なものですね。。 5/3は東大阪超壮年大会、毎年小早川氏と出ます。最近は、シニア55は厳しくて仲間達の技術がどんどん上がっている気がします。今回も谷本・小森ペアの柔らかいテニスはすごいと感じました。打たれても打たれても粘りシュートボールは決して速くはないけれども前に詰めてライジング気味に打たれると前衛は少し守りに入ってしまうのです。まずトーナメントでは中村・鶴岡ペアとの対戦です。強烈なボールの威力のある中村選手が終始主導権を握ってゲームが進みます。しかし丁寧に試合を進める谷本選手はミスが殆どありません。ファイナルになり中村選手が力みアウトボールが出はじめました。小森選手がいいポイントでアタックを止め、ポーチにでるなどファイナルで良い動きでした。逆転で谷本・小森ペア。次の対戦は我々でしたが、我々のところはまず原田・藤村ペアに勝たなければならないんです。今年も原田氏とは何度もやらねばならないでしょう。現にすでに原田さんとは2回、藤村さんとは次の山手でも当たったので4回やっているのです。何度もやっているので手の内は知り尽くしているので、読みが勝敗を分けます。ここもファイナル、しかもリードされていました。良く追いつき勝ったと思います。ファイナルで割り切った我々にやや分がありました。 いよいよ谷本・小森ペアです。中村ペアとの戦いを見ていると、全力で当たって5分かなと感じます。ただ強打ではないのでコバちゃんに少し分があるかと思って試合に入りました。いつもは味方をしてくれる太陽は今日はしかしながら少しだけ敵に回りました。我々がコートにはいると雨が落ちてきます。霧雨のような状態からかなり激しくなってきます。ペース的には我々の展開から入りました。1ゲーム目を取り、2ゲーム目も3-0。2ゲーム取ればまず間違いないだろうと考えましたが、どっこいここから5連続ポイントされて1-1となってしまいました。いつもはチャンスボールを角度厳しく打ち込んでポイントが取れるのですが、その球が吹いてきっと打てなくなったのでしょう。後衛は自信を持って打ち込めなければ決してチャンスボールをポイントすることはできないのです。コバちゃんもロブでのつなぎは上手いです。谷本選手と比べると打ち込める分、幅がありまた左利きの優位もあるので後衛力としては総合力で上回っています。しかし今日は片腕もがれてやっています。気を引き締めていくのですが3,4ゲームを落とし1-3。ちょっと気持ちが切れ気味になったと思います。しかし、ここで簡単に勝たせては次の大会や全日本へ影響が出ます。簡単には勝てないのだ、絶対諦めないで食らいついていくペアなんだというところを見せておかなくてはなりません。長いポイントの取り合いが続きます。しかし気力でボールに立ち向かい、3-3のファイナルになりました。やっとしました・・。コバちゃんは疲れていたと思います。しかしさすがは彼です、ここまで耐えました。ファイナルは苦しいのでしょう、最初に小森氏をつついてポイントされ1-4までリードされます。ここから何とか凌いで4-4。次の1本が勝負を決めました。長いラリーの後、イージーボールがセンターに来ました。少し逆モーションになった僕は目が離れたのでしょう、ラケットの端に当たりミス。4-5。これでやや気落ちしたのか4-6、一本返すが5-7で負けでした。追いつくことはできるようになりました。自信も付きました。万全でない状態でこれなら、何とかいけるだろうという自信もちょっと付いた収穫のある大会でした。 さて通常はここで終わるのですが、今回は違います。高橋・大久保ペアが快進撃で決勝まで来ました。谷尾・杉野ペアも練習不足でまず上がれないだろうと思っていましたが、やはりそうでした。走れなくなれば谷尾選手もただの人です。練習をしないで勝てるほど今の大阪は甘くありません。この日の高橋選手は本当に良かったです。声が出てフォアバック共に切れも良く、良いタイミングでの中ロブも決まっています。受けることなく試合を進め3-1までいきます。大久保選手が我々の試合を見ていて谷本選手のスマッシュをことごとく取りに行きことごとく成功しました。しかし、疲れて5,6ゲームは動けず、これまでかと思いましたが、ファイナルは少し回復してきました。ファイナル5-7でマッチ2本取られていて1本目は大久保選手のボレー、2本目は高橋選手の逆ストレートへのノータッチのシュートで追いつき、2本大久保選手のボレースマッシュで逃げ切り、いや逆転かな、良い試合でした。高橋選手もいつも今日くらいの無心と気迫で試合をすれば良いのになあと思うことでした。おめでとうございます。 2012.5.1 もはや5月になりました。いつもGWは天候が良く大体晴れという記憶でした。しかし今年は前半が良く・といっても2日間でしたが、中盤が雨模様です。後半の5/3東大阪超壮年と5/5神戸山手大会は晴れて欲しいものです。4/29には一週前に雨天で延期になった86回天長西日本大会が和歌山運動公園でありました。新開氏が仕事のため、ラリークラブの渋谷さんとペアを組み参戦、結果はリーグは2位通過、トーナメント一回戦で宮浦・上田ペアに2で負け8止まりでした。言い訳をしてはいけないのですが、私の前日調整失敗とペアでのテニスのポイントの対する不徹底が敗因でしょう。大部分は私の調整が悪かったのです。前日は暑い日で気温は30℃に手が届きそうな勢いでした。橿原クラブの練習では基本練習はやや軽めにあげてゲームを中心に行いました。それでもかなり疲労感がありました。汗をかくのはこんなにも消耗するのだと実感したものです。午後からは八尾に戻りちょっと見学くらいのつもりでしたが、コートの面数のわりには参加者が少なく後衛を中心にやることになったのです。これが追い打ちをかけました。ダメージを受けている筋肉に更にいつもは余り使わない筋肉を使ったためにどうしようもない疲労感が残りました。帰宅して風呂に入りましたが筋肉が伸びると痙攣を起こします。暖かくすると通常は痙攣が治まるのですけどどうも様子が異なります。水の摂取量も冬よりは多いですがまだ慣れていない所為か適正量に至っていなかったようです。アミノバイタルも飲んだのですが効ききっていないくらいでしたので、ヤバイ状態でした。4/29朝は、まあ大丈夫かな・・という感じでしたが、体は正直です。何となく何となく疲労感がありました。そういったときは全体的に良くないもののようです。リーグ内に中村・鶴岡ペアがいました。2位上がりでOK・なんてことを考えてはいけないのです。一度負けて勝つなんてことは結果としてあるやも知れませんが、それは自分のポリシーとしてはあってはならないことなんです。なのにそんなことを自然と考えてしまう・そのいい加減さが試合に出てしまうのでしょう。中村・鶴岡ペアと2-1リードの4ゲーム目、1-0からスマッシュをミスして1-1。ここがその日の全てだったですね。1ゲーム目に3本のレシーブミスをしたなんてことも酷いですが。。それから何となくズルズルとポイントを重ねられます。リードしそうになっても私達のミスがお互いに出て広げられません。追いつかれては逆転される・・の繰り返しで2-4で負けです。 トーナメントは上田・宮浦ペア。宮浦さんは昨年谷本氏と組みかなりの好成績、いいリズムでした。遠方に試合にいけないとのことで今年はペア解消していますが、オールラウンドなプレーのできる油断できない好前衛です。上田さんは何度かやっているのですが、復帰してまもなく力が戻ってませんでした。しかし、今日は打って良し上げて良し足も速いしサーブも確実に入ってきます。なかなか縺れそうだなと思いましたが、その通りになりました。この試合も決して一方的ではなく勝つチャンスは沢山ありました。でも押し切れていないのです。確実に決めるところを決めきれない。ミスが怖く繋いだボールをポイントされる。本当に悪いパターンでした。それよりも思い切りよくチャンスボールを打ち込んできた上田さん、並行カウントで勝負に迷いの無かった宮浦さんに軍配が上がったのです。ポイントでの集中力が欠如していた我々の負けでした。反対ゾーンでは準決勝で小早川・中井2-4中村・鶴岡で中村ペアが勝ち上がりました。我々も中村ペア対策をやりきらなければなりません。先日の北村大会の準決勝戦を小泉君がDVDで記録してくれていました。非常に勉強になりました。最近1年ほど負けが込んでいます。その理由がやっとはっきりと見えました。自分にも思いこみがありました。判然としていなかったことがこれほどくっきりと映像に残っているともう悩むことはありません。練習をしっかりとして中村ペア対策を取っていきます。先ずは次の東大阪で実践です。 今日は5/1です。GWですが、大部分の人達は出勤です。私は体を休め、少し散歩でもしてきます(^^)/ 2012.4.23 今日は朝からとてもいい天気です。移動性の高気圧が日本の上にやってきて風もなく穏やかな日となりました。昨日の天気がまた嘘のようです。皮肉にも試合の前後は良い天気でした。またその天気予報もかなり大幅に外れていたことも事実です。ただ天気予報はかなり大きなお金も使います。衛星や最新設備、多大な人的資源を投入し、更には気象予報士なる国家資格を与えています。このたかが天気という代物に人は限りない情熱を注いできたのです。何が言いたいのかお分かりでしょうか?・・そんなにも掛けている時間やお金の割にはまだまだ完全に気象を予測できないのだなということです。人知はまだまだ自然には敵わない。思い起こせば一年前、あの地震も津波も予測は不可能でした。いつか来る・・300年周期だなどとたかだか日本の歴史有史以来2000年余り、いや日本は皇紀だから2700年若の歴史の統計から判断してもそれくらいのことは言えます。今、昨年の地震以来東南海地震が続けて起きる確率が統計的に高くここ数年以内に起こるといわれています。また、首都直下型地震が3年以内に起きるとどこかのTV局が言ってましたし、関東では自治体が率先して防災訓練を何度も繰り返し行っています。関西は比較的その動きには追従するのが遅れていると感じます。15年前の阪神大震災はすでに風化しつつあるのでしょうか?ただ、いつもそればかり考えて生きてはいけません。確かに地震が起きることは非常に確率が高く、今できることを可能な限り努力して対応しておくことが必要です。でもそれ以上に何もできません。その瞬間のために我々は準備しているのではないはずです。生きていくことが第一で、災害が起こったときは最小限の被害で抑えるようにするだけです。想定とはまあこれくらい・・という漠然とした見積もりですが、はっきり言って今の日本の未来予測能力では不可能だと思います。最大限に見積もって・・先日津波の高さが修正され、すでに着工していた小名浜原発の防護壁の高さを見事に超えて見せました。強度を計算して莫大な費用をかけた頼みの綱が弱すぎるというのです。馬鹿にしているにも程がありますよね。また、先日の北朝鮮のミサイル発射の情報確認精度の悪さと時間の消費に対する危機意識のなさ・・世界中にお人好し国家を露呈したようなものです。何かあったとしたら沖縄は完全に見捨てられていたんだと思うでしょう。我々は第3者としても、東京にある政府は沖縄にロケットが落下したとしても確認できていなかったから指示が出せなかったとコメントを出すことでしょう、と正しい想定をします。。東京ならそうはいかないでしょうか?いやいや同じだと思います。却って逆にパニックになって、舵取りが目をむいてしまうんじゃないでしょうか?きっと東京がミサイル攻撃を受けても、彼らはパット3を撃つ命令も出せなければ誰が出すんだでもめる姿が想像できます。今、この時原発の再稼働をするという決定を下す・・容認決定をした・・安全確認ができた・・では福島の対策は、どう処分するつもりなのか?安全であることが確認されている瓦礫の処理さえもできていない状況で、安全でない瓦礫はどうするのか?作業員の着ていた汚染された不織布作業服はいったいどうしているのか?水の処理について経過報告はないけど1日いくら発生して、どれだけ処理できて、どれだけどこに放出しているのか?そしてその測定データはどこを見れば出ているのですか?これだけインターネットが発達している世の中です。各地に測定員を配備してデータを毎日打ち込めばすむことです。そして公開し我々はそれを知る権利がある。生きる権利もあるが、万が一には死ぬことを覚悟しなければならない、そしてその時期を知る権利もある。国が民を守るために存在しているのであって、民の屍を乗り越えて存在する国家なんて存在できるはずは無いのだから。USAが日本を見捨てる日に日本の割譲は始まるのです。現に今南の島では不穏な動きがあり、竹島でも同じ、一時は2島返還までいきそうになっていた北方も鉄のシャッターがおりてしまいました。東京都知事が投げた一石で右往左往する政府、知事達が行っている政治塾の動き、これらはすでに次の時代にどういう流れが起こっていくのかを予感させます。 2012.4.22 朝は雨がまだ降ってませんでしたが、予報ではかなりの雨量。早々に延期となりました。徳島からのフェリーも欠航で新開選手は結局来ることは出来ませんでした。開催できたとしても出場がかなわぬことでした。おかげで4/29に延期となりました。お互いのペア片割れ同士ということで美原の渋谷選手と組むことで次週出ることになりました。渋谷選手は足も速く、またいい中ロブでポイントが稼げます。取りにくい球を打つ貴重な後衛さんです。楽しみにしています。4月5月は関西では大きな伝統のあるローカル大会が毎週あります。ですから大概の選手は殆どにエントリーしていますので、雨でも降って延期にでもなればどちらかの大会が犠牲になってしまいます。仕方のないことなのですけど、試合の開催はもう少し各大会の連携が取れないものかと思ってしまいます。極めつけは、東西対抗と各地区の最も大きな大会が重なるなんてことはあってはならないことではないかと思います。ここ数年近畿大会と東西対抗は同じ日です。四国は変更したと聞きます。中国、東海、九州は最初からずれていたようです。尤も東西対抗の監督や主催者がいる都道府県が大きな大会とをバッティングさせるわけはありません。そうなると近畿は東西対抗にも近畿大会にも余り重きを置いていないのでしょうか?主力となる選手が欠けてしまった大会を何とも思わない無神経さがソフトテニスを失墜・窮乏させていくのだということを忘れてはなりません。日本中の大会を統括するソフトテニス連盟とシニアのソフトテニスを運営・統括している(?)ソフトテニス協議会がもっと綿密に協議をして日程などを考えていく必要がありませんか?放置していること自体がすでに執行部の怠慢としかいいようがないでしょう。知っていて変更しないのは確信犯でもっと罪が重いですね。いずれは改善されるだろう、良識ある方々がトップで運営をされているのだから良くなるだろうと思いこの問題には殆ど触れてきませんでした。しかし、私がシニアになってすでに15年くらい経ちます。その間何度も同じことが繰り返され、しかも一向に改善される兆候は見られません。これからの選手のためと、連盟の品格とのために敢えて言わせていただきます。地区大会と東西対抗は日程をずらしてください。試合の格を保ち、その試合が権威ある皆の目標になる大会であることを切に望むものです。 2012.4.21 4/21深夜ですが、まだ雨はやってきていません。予報では今日は何とか午前中は保ちそうで午後はあやしい、夜から雨で4/22日曜は大荒れの天候とのことです。天長杯が和歌山で開催されます。新開選手と組みますが、彼は海をフェリーで渡って来るようです。しかしこの予報ですので、朝に判断しようと思っています。小雨ならできるでしょうが、どうやらそうではなさそうです。 2012.4.16 春になったと実感するのは個人で違うでしょうね。私の場合は春先の府民大会と北村コートの池田杯でテニスをする時です。風も4月になれば明らかに違います。桜も北村大会の頃はいつも満開です。今年は寒い割には桜はすでに散っていました。短い開花時期に毎年ピッタリと合うことはないでしょう。でも桜花舞うコートでテニスをする幸せは素晴らしいなと毎年思い、はるかな北の地は今年はどうなのだろうとも思いを巡らせます。 この北村での大会は、昭和では豊中の服部緑地で行われました。しかもかなり出場にも制限のかかる大きな大会で、クラブごとに3チームくらいの枠がありました。全国から選手が集まり、春先の大学の合宿帰りやその年の国体の強化選手などが各都道府県、特に開催県の選手が必ず遠征してきました。それだけに格式ある大会と位置づけられこの大会が大阪の春の始まりというのはソフトテニスに関わるものの共通認識でした。時代は変わり、服部緑地は住民パワーで大きな大会より市民の娯楽優先、コートを日曜日に全面貸しきるなんぞもっての他・・ということで、新しくできたマリンテニスパーク北村に移りました。一時冠も外れたのですが、いつの間にか復活しました。昔を懐かしむ声が多かったのでしょうか?昨今ではしかしながら参加数は若い部を中心に激減、一般は男子29・女子はほとんど学生で15・今年は東芝・松蔭女子大が神戸の試合と重なり不参加、成年男子は7、女子は3という有様。シニアの男女は今は最も多い年代ですからまあ体裁を保ち、いい選手も多数参加しています。ただ、ほとんどが大阪、兵庫、奈良、昔とは隔世の感があります。 今年は最初から大いに気を入れて試合に臨みました。いつも気を抜いているわけではないですが、昨年はコートのオープニングで原田・柿原ペアと当たりました。ダブル後衛であり、戦い方を考えている内にファイナルで負けてしまいました。何となくその試合が祟ったのか、2人のリズムが合わずズルズルと負けがこんでいきました。昨年は決勝まで行っても取りきれない試合が多く何だか勝ちきれない病にかかっていたようです。一年のスタートで感触を掴めれば大丈夫です。今年は本当に気を入れていきました。一試合目は白川・南ペアです。全日本を取った次の年東大阪超壮年で苦汁をなめました。粘っこさに負けてはいけません。④-2、2試合目 小西・大西ペア、一般成年の頃は小西選手の左特有のボールと速さに圧倒されていました。大西選手の力強いボレースマッシュもレシーブも脅威でした。シニアになって仕事の関係で大西さんが練習不足、小西さんも固定ペアがいず鳴りを潜めていましたが今年から大西さんが復活の様子でまた一つ脅威が増えます。案の定小西さんはビシビシ打ってきます。OB会で十分練習は足りています。気を入れていきました。各ゲームは最初もつれかけましたが、何とか取り切り④-0。リーグを出ると堤下・睦月ペア、毎週水曜の練習相手です。お互いに攻め方を知り合っている相手です。睦月さんは小早川氏と元会社仲間でこれまた知り合った間柄、知り合った上での力勝負となりましたが④-2。準々決勝は4ペアの厳しいリーグを勝ち上がった福谷・林ペア。一週前の55大阪チャンピオン谷本・小森ペアにはファイナル負けでしたが、3巴を制し上がってきました。昨年来福谷さんの試合ぶりをずっと見てきました。思い切りの良いトップ、安定した凌ぎ、そして攻撃もかわしもできるようになったバックハンドの組合せはなかなか厳しいものがあります。引いては負けです。前に前に押していきました。弱気になる自分を切り捨てて攻めていき④-0。準決勝は下の山から上がってきた中村・鶴岡ペア。彼らとは毎週何試合することでしょう、彼らがいるからテニスの頂点を目指せます。同時に彼らも成長するでしょう。我々も工夫をし、弱点を見つけその展開で勝負をします。彼らも我々の最も弱いところを突いてきます。お互いが全てを本当に知り合った上でなおかつ引くことのない戦いをします。妥協しないで勝ち抜いていく、そんな練習相手を持っていることが私の幸せなところでもあります。2ゲーム先攻。待ち疲れたのでしょうかボールが来ません。しかし3ゲーム目、ボレーを一本決めた後がら4本取られ2-1、嫌な展開です。3ゲーム先攻してやっとタイかなと思える最近です。4,5ゲームもジュースになるのですけど突き放せず落とし2-3と逆転。6ゲーム目は開き直りコバちゃんも打ち切り、ミスと意外性のあるポジションチェンジで取ってファイナル。しかしファイナルは先行される展開で離されます。彼らもミスが出ません。3-④で負け。決勝は反対ゾーン1シードのゾーンを+2ポイント差で抜け出した南部・東ペアと中村・鶴岡ペアの戦いです。中村さんのボールにイマイチコースの厳しさと切れがなく、鶴岡選手も2-1からの4~5ゲーム目を4ポイント連続ミスで落とします。片や南部氏はロブもシュートもコースや速度申し分なく打ち分けます。殆どノーミスです。東選手はボレースマッシュ共に少し変則ですがミスが少なく目立たないけど勝負師です。あれよあれよという間に④-2で勝利。分からないものですね、圧倒的に中村ペアが有利と思いましたが。南部・東さんおめでとうございます。南部さんは今年、八尾の北口氏と組んでもらえるようでこれから非常に楽しみとなりました。 さて日本ソフトテニス連盟の方向性の決め方や指導の仕方、関わり方、それらについて我々からはこうあるべきではないだろうか?という意見はどこが提案しどう受理し、どう協議して、どう決定しているのでしょうか?それが皆目わからないのです。日本の政治は社会の縮図でもありますし、どこか組織のあり方は似てくるものなのでしょうか。私たちはいい時代にテニスを始め続けています。だからこそ仲間も多く自分たちがテニスをして過ごしていくには何の支障もありません。たとえこの先ソフトテニスが廃れて、誰もする若い子たちがいなくなったとしても別にそういうものだったのだと割り切ればいいのです。今でもそれに近い考えで楽しんでいる人が多いことでしょう。それでいいのです。所詮は趣味で何を選択し継続するのも休止するのも自由なものなのです。この世は娯楽に満ちあふれています。先日も書きましたが新しい遊びは次々に発明され人々の選択肢も増えているのです。何もつまらないと思ったスポーツや娯楽を我慢して続けることはないではないですから。。 しかしソフトテニスは蹴鞠などとは違い近代スポーツです。ボールの柔らかさが生み出す多様性は硬式テニスにはない柔軟性と多様性を備えていますし競技性に関わる戦術面をかなり高度に追求できるものだと思っています。野球やサッカーバレーボール、バスケットボール、バドミントン、卓球・・色々なスポーツが各スポーツの独自性を発揮して見るものやるものの好奇心を掻き立ててやまないのです。ソフトテニスに関わって数十年が経ち、今尚その情熱がこのスポーツの魅力に取りつかれ、のめり込んでいるのです。硬式テニスもやらなかったわけではありません。ウインブルドンに出たことのある上手い人にもお相手をしていただいたこともあります。でも硬式テニスの競技の本質は何か私の求めているものと違うようです。それが何なのか今でも本当のところは分かりませんが、フィーリングなのでしょうね。 今、ジュニアの育成に色んなクラブが熱心です。また、テニスをやっている親たちも子供の将来のことを考えるとどうしても早くからテニスクラブに入れようとします。それは何故か?中学に入りテニスを始めたのでは遅いからです。ジュニアでやっている子たちが中学に入るともう他の子たちと圧倒的な差があり試合で勝つことなどできないのです。それはそうです。現に八尾でも2世たちは小さい頃からソフトテニスに親しみ自然とラケットを振り、ちゃんとコートに入るようになります。親たちも熱心に相手をします。その結果小学校低学年の子でさえ大人たちと十分ラリーも試合も出来るのです。こんな状態では中学から始めた子は・・こんなはずじゃなかった、絶対勝てないなら面白くないな。・・とクラブに入らなくなっていきます。つまりこのサポートが欠けているのです。また物事には良い面と悪い面があります。どんなことでもそうです。ジュニアからテニスを教えていけば早くテニスの頂点に到達する可能性が大で英才教育を受ける事ができる可能性が大きい。しかし反面他のスポーツから得られる感覚の養成や筋肉のつき方などが偏ったり、故障したりします。子供なのにテニスエルボーになった女の子や腰痛になった子も多く知っています。そしてここが大事ですが、昨今は一流選手はそこそこいるけれども超一流選手が出てこないというは何故なんでしょう?ジュニア教育、中学教育、高校教育の中で育ちすぎて、大学から社会人になってプレーヤーとして続けていくだけの気力を持ち続ける力がないように思います。大学もそれほど厳しくなく、上下関係もなくなりある意味では上級生を追い越すんだという気概、上級生はこいつらには死んでも負けないというクソ意地が技術、精神力を高めるのですが・・お互いに欠如しているためではないでしょうか?ソフトテニスに限りませんが本当にうまくなろうと思えば自分でよく考えてみなければなりません。人のフォームを見て真似る、体や力の使い方を考えて実践してみる、やり直す、また考える・・この繰り返しです。そういった基本的に自分を太らせていく力が少なくなっているそんな気がするのです。 若い人達の全体の気質なのかもしれません。私の会社は技術系が殆どです。しかも新しい製品を生み出していく想像力と創造力、観察力と企画力、実験の結果を解析して何をすれば無から有が創造できるのか・・常に考えなくては何物をも生み出すことは出来ません。いい学校を出てきているのです皆さん。我々がとても入れなかったところからやってきた人たちにしかしながらそういった能力を殆どの人に見いだせないのは何故なんでしょう。大学に入ることはある意味では基本繰り返し練習の積み重ね。学校そっちのけで塾に行き、試験解答の達人になっているだけの事かもしれません。ボタン早押し競争では勝つのかもしれませんが、その蓄えた知識は何のお役に立つものなんでしょう。辞書は大切なモノです。大概の事はそれを見れば解説してくれています。でも辞書はツールでしかないのです。私は今の教育が人というものを作っているのではなく、一時的な優良な辞書を作成しているにすぎないのではないのでは・・・と思えるのです。大切なことは人を作ること、ひとが自分で歩け出すこと、自分の力は弱いと悟ること、弱いから文殊様にはなれないから多くの人知を集めて社会を豊かに創造していくことではないのではありませんか?今よりも良い社会を、今よりも豊かな社会をという希望がことが欠落してはいませんでしょうか? 同様にソフトテニスで考えてみると、ジュニアは先取り・・塾にほかなりません。いや私学なのでしょうか?6年くらいの一貫教育をして文科省などの進行スケジュールを先取りして適当にこなし、後は受験対策授業に当てて模範解答を作成できる辞書集団を作っていく。しかし一貫してジュニア、中学、高校、大学、社会人と教育をしているところはありません。ある時期で関連の上部教育機関に預け、その繰り返しが続くのです。子供たちは真の競争原理からハズレある意味でのエリート教育を受けることで世間からは隔離された状況を作られます。それしか知らないうちはいいでしょう。でも一旦その箍が外れ、自分で考えながらテニスをするとなると、自分が目標としているテニスの理想や技術の限界への挑戦や極めたいという欲求やいろんなモノが急激に取り外されたと同時に他の世界への目も開かれ、逆に今までしてきたテニスへの情熱が消えて行くのも・・・分からないではないです。 昨日、元関大の監督をされていた植田さんと話しました。今はセレクションでいい選手が入ってきています。植田さんはいいます。「上手いよ入ったときは。でもちっとも上手くならん。却ってどんどん下手になる。もっと上手くなって良いのに殆どの子が下手になるよ!?」 なるほど見ていると上手いです。でもね、感動がないのです。テニスをしている心が感じられない試合が繰り広げられています。。勝ってやろうとかどうやって相手の弱いところを見つけて徹底的に攻めようとか戦術も戦略も見えないです。ただチャンスボールが来れば思い切り攻める、打てば出る。相手より速いボールを打って打ち負かそうとするだけ。ただただテニスの技術力の品評会のようでした。雁行陣の試合がこれならダブルフォワードで有効打を打ち込んで二人で前に出たほうがポイント出来る確率は高いです。だから平行陣が今は主流なんだ・・それなら話はわかります。要するに技本の技術力が明らかに低下しているのです。後衛がストローカーとして負けないという自負がないのと前衛はボレースマッシュならなんでも任しておけという自信がない、これこそが現実ではないのでしょうか?これでやってる子達は楽しいんだろうか? 今はサッカーが日本でも第1,2を争う人気スポーツです。昔から野球も同じように国民的スポーツとして繁栄しています。ソフトテニスも形ばかりは多くの人口を抱えているといってますが、現実は少ないでしょう。とっかかりの中学では確かに多いでしょう。しかしそれは見せかけの数字です。中学生でソフトテニスをやめてしまえば結局それはやったことがある・・程度の人の数に過ぎません。実人口を多く保つと同時に大衆に認知して貰い支持を得る、それが国民スポーツではありませんか。それには組織の問題が大きいのです。また団体競技と個人競技の差もあります。サッカーに限っていえばFIFAはジュニアだけでなく団体の保護・バックアップまた育成にも力を注いでいます。ワールドカップに参加した選手の所属した団体には援助金がでます。成績が良ければいいほど額も増えます。それはすべての団体ですから、ジュニア・クラブチーム・中学・高校・大学・実業団・プロチームに渡っているのです。この姿勢は何を意味するか分かりますか。スポーツは始まりから終わりまで流れを途切らせてはいけないのだということをいっています。更に一部の特定団体が優遇されることの無いように個人に関わった教育機関全てに配慮した措置です。これを聞いた時FIFAはすごいと思いました。これこそがトップダウンの典型ではないでしょうか?一本のしっかりした理念がその競技スポーツ全体を支えている、等しく機会均等でありスポーツを支えていく姿勢が立派だと思います。ソフトテニス連盟にはそういった仕組みはすぐにはできないでしょう。逆に今は上納金を持って一部のトップ選手を優待しているだけに過ぎません。金を出せといっているのではありません。ソフトテニス連盟は営利目的でやっているのではありません。だからこそプロのあるスポーツとは一線を画しても良いでしょう。しかし繁栄し続けるためにはソフトテニスも今見直さなければ、蹴鞠などのように古典的意味しか持たないスポーツになってしまうかもしれません。今個別に活動している団体を一本の線にするにはどうすればいいのか、どのように誇りを持って関わっていけばいいのか、それが大切なことでソフトテニスのスポーツとしての存続の瀬戸際ではないでしょうか?形だけ作ってもダメなんです。実が伴ってこそ成果があったと言えると思います。今はこのスポーツがほんとうに楽しくしかもいいスポーツであることを社会に認識させることが求められているのではないでしょうか? 2012.4.6 プロ野球も開幕して、ゴルフもマスターズが1日目が終わりました。4月はやはりスタートの季節です。スポーツマンは冬の間に実力を蓄え、春から長いシーズンを乗り切る足がかりを4月につけようとします。私たちもシニアながらにその努力を惜しんではならないのだと思っています。これで飯を食っているわけではありません。仕事が忙しくなればそちらが優先されます。それは仕方のないことです。アマチュアである以上生活の基盤を失ってまでやるものではないでしょう。この競技は微妙です。プロがない分、技術の頂点が見えません。一般男子の速いプレー、それが競技をすればシニアに上回ります。技術やボールを扱うテクニックが少々優っていてもトップアスリートにはなかなか勝てません。しかし、客観的にそのトップ選手達同士のプレーを見ると、まだまだ不満足な点が多く見られます。それは我々シニア同士の試合をするのと余り大きな差があるように見えません。むしろそこで繰り広げられている駆け引きやボールコントロール、ボレースマッシュ・フォローなどの多彩さの方が私にはテニスらしく映ります。ダブルフォワード同士の戦いがどこの大会でも多く見られます。雁行陣でダブルフォワードに対抗できるペアはいないのでしょうか?韓国や台湾に負けるからダブルフォワードをやる・・やらなければ到底勝てないからやる。それで良いのでしょうか?私の勝手な意見ですが聞いてください。日本ルールから国際ルールに移ったとき、韓国・台湾以外の国への参加を広げ、競技しやすくして普及を図り、最終的にはオリンピックの正式種目として加盟したいというのが日本連盟の思いでしょう。確かに国際的に集結するスポーツの祭典に参加できていないのは、競技スポーツとして日本国内では認められているものの歯がゆく悔しい思いを役員さん達はしているのでしょう。私たちもそうなれば良いとは思います。でも現実にこの競技が人口も減ってきているのも事実ですし、学校教育で自然と生まれてきた選手達のいわば自主性に任せて育ってきたアマチュアリズムの極致のような現状を何もしないで傍観していたのも事実でしょう。今のシニア50~65の20年間くらいがソフトテニスの黄金時代であったことは間違いないですし誰も異論はないと思います。しかし今は違うのです。学校教育でも指導者の減少・とりわけ先生方の絶対数の減少とクラブ活動にそこまで傾倒しない現実があります。しかも保護者達の理解のなさや怪我などすると管理責任への追及などから訴訟問題なども起こっています。それ故に問題を起こす行動を自粛する傾向があることもまた事実です。クラブ活動はある意味では一般教育が広く公平に均等さを与えること目的にしていることに対して、余暇の時間に特殊性を希望者に与えるのを主眼とした教育です。従って強制力はありません。あくまでも与える側の熱意に裏付けられたものといっても過言ではないでしょう。そのスタイルが全部とはいいませんが次第に失われてきているのも事実です。また、人間の質も変化します。スポーツはするものから見るもの、バーチャルで楽しむもの、サポーターとして一体感を持つことに意義を見いだすもの・・などなど私のように、スポーツはやってなんぼ・と考えている人には違った人種としてしか見られないのです。もちろん野球もサッカーも好きですし、他のスポーツも好きです。だけどそれは自分もスポーツをしているから共通点があり、特に勝負の時の考え方は良く分かります。だからこそ認められるというのもあるでしょう。最近、ジュニアで素晴らしい選手が多くいます。私の回りの2世達も自然とテニスコートでボールを打ち小学校の低学年でもちゃんとラリーができます。私たちが中学1年生くらいのことができているのです。この子達が中学に入ればもうそこでスタートが一般の子とは違います。勝てないやと思えば初心者はやらなくなるでしょう。切磋琢磨できるからやる気になるのですね。でも今はそういった難しさもあるのです。ですからクラブチームでエリートを育てると一般教育が成り立たない。どちらも不幸ですよね。学校では相手がいないので社会人クラブに顔を出すようになる。そういった子達のフォローは現実に誰もできていないのです。ソフトテニス連盟は競技者育成プログラムと称し各地区でのトップ選手候補を選出して合宿や指導を行っています。しかし形上のことです。結局年数回の合宿を行い、各地に戻り地区の大会で成績がよいものの中で数名を選定し格付けする、そしてU15、U18などとしているのですが、よく考えてください。日本連盟がその選手達を集めて指導のプログラムを作り毎日合宿所にでも入れて育てているのではないですね。全て各地の指導者にお任せなのです。それでは連盟主導とはいえないでしょう。連盟が、韓国や台湾のダブルフォワードに対抗するためにどんな方策を考えてやるのか、熱意を持ってペアを作り上げ雁行陣でダブルフォワードを粉砕できる技術を習得させるのはどうするのかを真剣に考えた方が良いでしょう。私は今の一般男子では、昔の後衛に比べて今の後衛(担当)のストローク力は明らかに劣っていると思います。昔の前衛に比べて基本とされる前衛力;ボレーとくにアタックのデェフェンスは劣っています。レシーブ(ストローク)・ローボレー・スマッシュ力は向上していると思いますが。要するに、後衛の最も武器であるストローク力が落ち、前衛のデェフェンス力が落ちているから雁行陣の良さが出ないのです。カットサーブに対応できないといいますが本当にそうでしょうか?返球術は凄いと思いますよ。問題は返してからのことですよね。サーブゲームではサーブの練習が足りないんじゃないかと思います。私のかつてのペア高宮君のサーブは今でも日本1の速度、高さだと信じています。入射角と同じ角度で同じスピードで飛んでいくサーブは今でも目に焼き付いています。そのサーブが打てれば相手もダブルフォワードなどできないはずです。インドアだけでなくアウトでもサービスの素晴らしい選手が皆無に近くなってしまったのは何故でしょう。もっともっと練習すべきではないでしょうか。そのサーブが打ち続けることができる背筋力や腹筋、バネ、手首の強さなどトップアスリートとしての極めることはもっともっとあるはずです。私はもう一度見たいのです。線や漠然とこの辺りを狙って打つのでなく、明らかにこの点を狙って打つ、糸を引くような速度の変わらないストロークで日本で最高の前衛を打ち抜く最高の後衛を。そういった後衛をつくれるのは木口さんや井伊さん、若梅さん、木之村さんくらいのもんじゃありませんか。若手なら中堀さん、北本さん。是非とも再生させてくださいよ。前衛もうまい前衛は結構います。でも横江さんや稲垣さん、大木さん、藪崎さんのように誰もがため息をつくような選手は今はいません。それが証拠に、感動がないので全日本インドアなどでも試合に見入っている人が最近の大会では殆どいません。以前名前を出した人達がやっている準決・決勝などでは、観客の咳さえも聞こえましたし、選手の靴が板をけるキュキュッという音、選手のかけ声や、「早い!」と前衛が叫んだり一本のポイントやフォローの応酬に観客の歓声やどよめきがうねりのように会場の一体感を作り出し、全員の出す緊張感がいっそう試合を良いものにしていきました。マンガや携帯ゲームや雑談が途切れることのない観客席と凡プレーの多いコートではあまりにも温度差がありすぎました。本当にソフトテニスが今のままで良いのでしょうか?硬式テニスではベースラインプレーヤーとネットプレーヤーの戦いがあります。ネットプレーヤーが必ずしも勝つとは限りません。ストローカーは高い技術でパッシングを通します。ダブルスでも完全にいつも4人最初から出ているのではありません。きっとストロークには信じられないくらいの時間をかけているのでしょう。ソフトテニスも何をやったらいいのか、どの程度の技術を習得したら良いのか、限界にチャレンジしていただけないだろうかとトップアスリート達に望むものです。 2012.4.3 台風並みに発達した低気圧の接近で朝からニュースは風の様子を伝えていますし、気象予報士はそのメカニズムの説明で得意そうです。子供の頃に習った天気図で大体の大まかな天気とか風の強さや方向くらいは分かるのですけど、詳しい読み方はできません。今は気象衛星から得られる情報量が多く精度も上がっています。また統計的な処理とデータの集積は予測には十分なものなのでしょう。我々も携帯電話やスマートフォンなどを駆使して現在の状況がどこででもリアルタイムに把握することができます。3.31土曜日は前夜から雨が降り出し日本中大荒れの天気でした。朝雨脚は強く、とても安来ではテニスの試合などできないだろうと思っていました。山陰・・と言っていいのでしょうか?こちらは雨が多く、冬場は特に鉛色の空のイメージです。島根県や鳥取県に行くときは弁当は忘れても傘は忘れてはいけないとよく言われたものです。そんなわけでその日も絶対にテニスはないだろうと半分諦めながら、いやいや自分は晴れ男なんだから大丈夫・・などと全くの強がりでしたが期待しながらも、7時に渡部さんに電話をしたところ、明るく元気に「やるよ~!!9時からね」とあっさりと言われました。急いでケイタイで雨雲レーダーを除くと縦に伸びた寒冷前線が確かに今通過しているところです。これが過ぎれば雨はもう無いでしょう。速度は時速30km割と速いです。ヒョッとしたらあと2時間後ならできるかもな・・ただ降水確率は90%相変わらずです。エイここまで来てるんだから、いくぞ!と自分に檄を飛ばし運動公園を目指します。着く頃には8時40分頃でしたが、傘を少し開けば大丈夫な程度までになっていました。そしてすでにコートでは殆どの選手がウォームアップをしています。私の当日のペア、岡山の黒田さんも元気にラリーをしています。そして棄権はゼロ・・どうなっているんだ、大阪なら自己判断で来ないペアがいくつかはあるのですけど・・さすがに大事にされているいい大会なのでしょう。兵庫からも大阪からも岡山からも続々と参加者が集まっています。山陰での球春、山陽が広澤旗、近畿が北村全国大会、四国が松山全関西大会のような位置づけなのでしょうね。ご努力はひしひしと伝わります。朝から晩まで地元の中学生達がスコアボードに1ポイントずつ加点してくれています。雨も降り、風も吹き、気温も10℃前後なのですけど、休みもそんなにないのに嫌な顔も殆ど見せず黙々と仕事をしています。よほどのしっかりした教育をされているのだと感じました。見る姿勢ができています。数人集まっていても試合を見ないで話に夢中になったり、大声を上げたり注意しなければ・・と思ったことが一度もありません。12面のコートにすべて3~4人付いているのです。一人くらいやんちゃがいてもいいのに・・とこちらが心配するくらい行儀がよかったのは素晴らしいことです。島根の方々の実直さとまじめさが出ているところでした。決して暗くないのですよ、誤解しないでくださいね。皆さんとても明るいのにメリハリが利いているのですね。子どもたちを良い育て方をしなくては・・と考えさせられました。有り難うございました。大阪でも大切なものを教えて伝えていきたいと思います。先ずは身近なところからですけどね。 当日の試合は黒田さんとは2年前に一度組み鳥取久松杯で松浦・松村ペアにファイナルで負けた記憶があります。あのときは松浦氏の粘っこさに二人ともじれてミスしたり入れにいったところを松村氏に取られたりで気持ちに余裕がなく負けました。私が後半にいくにつれ後衛に余裕を持たせてあげられるようにしてやれなかったのが敗因です。今回は今年の課題でもあるそういった余裕をつくれるテニスを中心にやってみようと思いました。勝負の球が当然多くなります。そのリスクのプレッシャーに負けない自分を作り上げる・これこそが3月までの課題なのでした。ただ一試合目はペアリングが手探りで地元ペアにファイナルの7-3でした。ゲームカウントを3-1にするところまでちょっと頑張ったのでもう良いかと言う気になったのがもつれた原因です。いつも考えているように、テニスには相手との力の差はほとんどなく、勝てるという根拠はどんな相手にも存在していないのです。それに対してポイント差が広がると人はその数によって何かを思いこんでしまうのです。そんなものポイント差なんて何の意味もありません。流れが悪ければ4-5ポイントは当たり前のように皆落とします。でも皆その心の落とし穴に気がつかない。一本で気持ちがピンと元に戻る人などいないのです。流れが変われば相手が沈まない限り、こちらはその倍以上に力を回復し発揮なければ勝てないのです。ソフトテニスは100mに似ています。前半ぶっちぎりで先頭に出ていてもたかだかコンマ数秒、ちょっと力を緩めればあっという間に後方に後退です。もし再スパートしたとしても決して追いつくことはできません。たかだか30分以内の試合に気を抜くなんてあってはならないことです。ただし・・余裕を失ってはいけません。・・・難しいですね、日本語の表現は。 2試合目は原田・藤村ペア。原田氏とはまあ昨年7回もやって知り尽くした相手・藤村氏も最近55で顔を合わせます。へそオープンで敗戦したのは記憶に新しいところです。一進一退でしたが、まだ黒田選手も本調子ではありません。いつもリードしていなければ不安があるようなので、せっかくリードしても取りきるだけの思い切りの良さが出ません。そうかと考え、レシーブゲームはせめていってポイントを必ず取れるように持っていき、黒田氏が・・何しても大丈夫なんだ・・と思わせるように持っていこうと。サーブゲームは後衛サーブの時は少しポーチを増やしこの球なら出るんだなとパターンを作ろうと考え、自分のサーブは一球ごとにこうするぞと意思を伝えゲームを作りやすくしてみました。後半から黒田氏はボールが殆ど入り出し、自分のフォローも良いところで出たりして、勝つことができました。この試合は今後もし黒田氏と何かの試合で組むチャンスがあれば、きっと良いイメージが残ったろうと思う試合でした。準決勝は森脇・松本ペア。松本氏が肩の筋肉断裂がありラケットが自由に振り回せない状況です。黒田氏の球はもう止まりません。あとは私は死に玉に近いコースの決まったボールを取りに行けば良いだけです。 決勝は常久・渡部ペア。聞けば昨年も同じ対戦と。常久ペアは運もあり上がってきました。準決勝は木下・生駒ペアと2回目の対戦。1度目はファイナル負け。2度目は木下さんにミスが目立ち④-1で常久ペア。常久さんとは一昨年の玉野真田杯で新開さんと組み負けています。その時のペアは前川さん。その後練習試合でも何試合かやっていますがなかなか勝たして貰っていません。今日も常久さんとできるので楽しみな決勝となりました。ただ、この時点で黒田氏は絶好調になってきてもう手がつけられない状況です。私が何かを仕掛ける前にすでに勝負は彼の手の中にありました。常久さんがすでにボールコントロールができず逃げる球か甘くセンターにボールが入りますので確実に処理すればいいようになっていました。とにかく後半戦は黒田氏の一人舞台のようなものでした。最初に参加する試合は勝たしていただくことが多いのですけど、今回は3月最後のオープン戦の集大成という感じで終えることができました。4月からはシーズン開幕です。頑張りましょう。 その夜は渡部さんのお宅に泊めていただきました。夕食は木下・生駒ペア、森脇氏、渡部氏、女性一人と賑やかに歓談しました。テニスの話題は尽きることを知りません。明日は試合がないと思うと酒量も上がっていきます。10時半というと安来はすでに静かな待ちでした。帰ると丁度TVでは男子フィギアのフリーでした。男子のダイナミックさと繊細さ色々考えてみて演技を見て、この試合の勝者はきっと髙橋大輔なんだろうなと素人目では見えます。羽生、髙橋、チャンを比べてフリーの点数があの順番だと納得した人はいないでしょう。主観をいくら客観的に判断するために加算式の点数システムにしたといっても、所詮は最終合議制で点数を出す方式です。主観が大勢を占める競技は所詮は悲しい要素を秘めている競技なのです。瞬間瞬間に点数を機械に打ち込み機械が処理する。更に最大最小値を排除して平均値を採用する。そして公式審判員には毎回判定能力テストを実施して能力の有無と評価基準の共通認識を持たせる。プライドでジャッジするということでないと芸術点などという極めて曖昧な採点は数値化できないでしょう。細かい判定がどうなっているのか分からないね・・・というのがその日の結論ではありました。 スポーツは選手がいつも公平に判定を受けてこそ栄えるものでしょう。審判のいい加減なスポーツは廃れるのです。それでは我がソフトテニスは・・・ 2012.3.25 春が遠い今年です。昨日は久しぶりに橿原クラブで練習しましたが風も強く、遅れてやってきた春一番で気持ちも凍る一日でした。3月はテニスのオープン戦ともいうべき期間で、ある大会は今年の締めくくり・ある大会は次年度への開幕位置づけと各会長さんの挨拶にしっかりと意義が盛り込まれていました。若いときは一年の計画はさほど大切でないかも知れません。一年一年まだまだ力を蓄えていく時期であるからです。20代の後半から本当に勝負が出来るのかも知れませんね。我々シニアは切実です。残されている時間が少ない・・考えてみてください。私は今59歳、後一年で定年です。逆にテニスを出来る時間はやや増えるでしょう。でもですよ、恐らく競技テニスとしては70歳くらいまでが見ていても限界ではないのでは・・と思います。確かに試合をしている先輩方の老練な技術、意識の高さはよく分かります。そして継続していかれているそのお姿には敬服しています。ただ競技テニスとしては自分が果たしてそこまで気持ちをぶつけられるのだろうかと思うのです。今、我々は、怪我をしないよう努力し、病気にならないよう運を信じ、テニスが出来る環境が保たれて欲しいと願うばかりです。この10年間を私は何とかテニスを続けてゆきたいです。たった10年です。シニア45で福谷さんと組み初参加して早14年がすぎようとしています。その2/3の時間を頑張って過ごして目標としている20戦に全力でぶつかって行きたいと思います。 3月の主な大会について 3/11あの大震災から1年、昨年参加できなかった世田谷オープン大会に行きました。中尾さんの冷静な厳しいテニス観をいつも感服しながら拝聴しに出かけています。前日は横須賀の防衛大学で若者と一緒に練習しました。やはり一般に民間とは異なった空気が大学全体に流れています。学生さんたちもキビキビと動き・やはりここは軍なのだと否が応でも感じてしまいます。テニスの格好はあまり変わりません。しかし、夕方卒業式の式典のため白い制服に身を包んだ彼らは凛々しく、挨拶のため振り向いた笑顔は自衛官幹部の風格を感じるものでした。どうか彼らの笑顔がその顔から消えないような日本であっていて欲しいと切に願います。 海に近いこの学校は雨混じりの強風が吹き荒れていました。昼から雨が上がりで奇跡的に練習が出来ました。木立に囲まれた2面のコートは風も穏やかで十分練習になりました。若い人と2試合、新開選手は不安定だけど調子が悪いわけではないなと感じるできでした。夜は新沼夫妻と熊本から長期出張の井下氏、新開氏と横浜中華街で食事。相変わらず人が多く、華やかな異国街で安くて美味しい店を見つけてゆったりと過ごしました。宿泊は日清紡の組合経営の宿舎でマンションのようなところでした。でも安く十分すぎる良い施設です。大企業はさすがに違いますね。 3/11当日は風も止み晴れすぎもせず、気温も適温で汗もかきすぎないので良いコンディションでした。23ペアの参加。いつもでている津吉選手が震災の後の工場建設完成検査の影響で不参加でした。東京まできて彼とできないのは新開選手共々残念です。試合はリーグでは危なげなく通過できましたが、抜けると小林・吉川ペア。初めての対戦でしたが、1昨年組んだこともあり何となくコースは分かります。左特有のコース変化に気をつけてガッチリいき奏功して1で勝利。準決勝は松本・姫野ペア。新開氏の剛球に対応がしきれずややコントロールが甘くなったり、大事なところでダブルフォールトが出たりで1で勝利。決勝は関・井上ペア。井上選手が新開選手のコースにピッタリ合い、なかなか厳しく0-2まで。ゲーム中のシーソー状態を取れないと苦しいですね。次も0-2までリードされたのですが井上選手に良いところでWフォールトなどが出て流れが変わり始めました。相変わらず新開選手の調子は戻りません。仕方なくレシーブは井上選手のそばとツイストを混ぜ1回のリードチャンスに賭ける展開に、サーブゲームはエースを取っていくよう集中しました。新開さんも少しは衰えやそのプレーの自分のイメージとの差が出ることから苛立ちが出てミスが出るようになりました。今まで殆ど負んぶされてきただけに回復のための方策を少し出していかねばならないのではと思っているところです。 3/17-18は福山で広島広友会と吹田クラブの合同春合宿でした。今年で9回となります。一年の締めくくりと今年への調整と技術基準を設定するため呼んでいただける限り参加したいと思います。65歳の部である守谷・福島さんと2試合、常久・高田ペア1試合、男座選手と組み倉橋・栗尾ペア、悦喜さんと組み川上・仁方越ペアとやれて非常に有意義なものでした。やはり福島さんの冷静さは驚嘆します。私も割と思い切りよく勝負していったのですが、大事なポイントを2本フォローされ逆転負けしました。後衛の悦喜さんも実に良い配球でさすがにシニア45で西日本3位の実績がある後衛です。私はこれからも福島さんの見方・を勉強して行きたいと思います。まだまだ足元にも及びません。それが分かっただけでも良い合宿でした。春までに感覚を養い、大会に力を出して行きたいものです。 2012.3.6 3月に入り天候が不順ですね、気温は高く春を思わせます。啓蟄も過ぎていよいよシーズンです。3/4の日曜日は八尾インドア選手権でした。今年から本来の姿に戻してはどうかとの藤井会長のご意見で役員一同の議論の結果、一般男女を充実させようということに話が纏まり、シニア2部の方々にはまことに申し訳ないのですけど、今年から2部大会を廃止させていただきました。これは時代の流れと逆行しているのではないかと皆様に怒られそうな気も致します。壮年は充実し、人口も多く却って2部3部を新設できないかとのご意見もありました。そうだなと思うところもあります。しかし、ちょっと考えてみようと私たちは思ったのです。人口が少なくなれば廃止する・・・・それで良いのでしょうか?今、成年の試合がどこの試合でも少ないのは感じられていると思います。募集しても集まらない、下のクラスに併合せざるを得ないと・・それも分かるのです。でも、廃止してしまうとやりたい人はできないですよね。知人の後輩達にも成年男子女子で本当に試合がしたいという人々がかなりいるのも知っています。でも現実に試合が少なく出られない。一般男子では苦しいしシニアの試合には出られない。いわゆる切り捨てが起こっているのです。少し前までは国体に成年があり、そのために割と重要な役割をしていました。その一枠を得るために切磋琢磨して競争した我々は幸せでした。今のマスターズは考え方によれば中年の国体ですが、前ほどの緊張感はなさそうです。背負っているものの重みと責任感がずっと乏しいと感じています。成年がシニアになって失われた10年間を技術的に取り戻して再び気持ちをリセットできるのでしょうか?以前にも書きましたが、この国体の改悪はソフトテニス界に取って大きな損失になるであろうという見解は決して間違っていないと思います。これ以上の愚策はなかったのだと思います。 少し脱線しました。今年からの一般男子は特に充実させたので16ペア揃え、一般成年の大阪のtopが集った大会となりました。もちろん八尾、YSTの若手にも門戸を開き良い選手と対戦するチャンスを与えるのもこの大会の役割と考えます。結論からいうと非常に良い試みであったと思います。後半のBest4の試合を見ましたが、なかなか白熱したものでした。しかし、私の印象では優勝した中本・竹村ペアは力的にはダントツ、とくに中本選手は余力を残し6-7割の力で試合をしていたようでした。他の選手は彼に対して100%以上の力を出そうとするのですけど、却って余裕のなさを感じてしまいました。一流の選手は違うものだと思います。ただその彼が全日本インドアでは勝てない。今年は見ていませんがスコアだけだとその結果です。超一流のプレーヤーのレベルは確かに高いのですけど同じレベルの人達同士では余り差を感じないものです。しかしこの大会のようにあまりにも差が大きいと簡単に分かってしまうものなのです。 一般男子の人々はどう思ったのでしょう。このプレーを見て、ここまでは最低行くのだぞという気になってくれれば、それで十分意義はあったのですけどね。一般男子諸君、大いに奮起してください。 2012.2.21 寒気が少し後退してくれると日差しの暖かさが有り難いと感じます。前週の週末は北九州マスターズ団体戦でした。50歳2ペア、60歳1ペアの編成での団体戦です。もうお世話になって10年近くになると思います。最初は岡山チームからの参戦でした。今は世話役に徹していらっしゃる松田さん達がまだ50代で大阪の喜多村さんや岡山の田中さん、佐賀の栄原さんなどが中心でした。しかし時は過ぎ、今や我々が60代にならんとしています。中心でやっておられる方々の次第にお顔を見ることができなくなりました。一昨年くらいまでは盛大であった前日の懇親会も殆どの方々が当日来られるかあるいは各々のホテルで過ごされるようになり、大阪や熊本などから参加されているかつての仲間達の集まりとなってしまいました。地元の方々でさえ参加が少なく、時代が変わっているのだと嫌でも感じてしまうのです。少しばかり郷愁と寂しさを感じながら、それでも楽しくお酒は飲めました。この上なく素晴らしい語らいは私にとってまた今年も頑張っていこうという活力を頂けるものです。 次の日は朝から雪の舞う寒い日でした。手袋がなければやっていけないくらい悴んでいます。北九州は北の冬将軍を遮ってくれる山のないところで、直接雪や寒波が襲います。きっと大阪のような3方を山で囲まれている土地は例外的に暖かいところなのでしょう。緯度だけでなく山や海流の影響を受けているのです。会場は穴生ドームですから雪や雨の影響はありません。それだけにこの大会と6月の個人戦は調整にはもってこいなのです。中止がない大会は本当にありがたいものです。ドームの中に入って驚いたのはホントに寒いということです。顔が冷たい、足が冷たい、座ればお尻が冷たいのです。凍えてしまいそうです。外の方が温かいですね。冷蔵庫の中と同じなんですね、きっと。試合はコート3試合目です。お昼くらいになりそうです。やはりそうでした。1試合目は長崎商OB、どなたも知らない人ばかりです。1試合目も沢田・山崎ペア硬くなりシーソーゲーム。でも何とか勝利です。沢田氏も50肩で苦しそうです。60代は福田・睦月ペア、こちらは危なげなく勝利です。我々はもう勝ちが決まっているので余裕があり勝利。2試合目は広島のもみじ、一番の玉井氏とこちらは沢田・山崎ペアの対戦です。相変わらず玉井選手の人を食ったようなボレーやスマッシュ、レシーブなどで翻弄されます。カッとして持っていくと行けないのです。でも何となく行ってしまうのです。成冨氏や吉川さんのような何となく捕らえどころのないテニスに皆苦労しています。対応はただ一つ、ビシッときちんとしたテニスをやる。甘めに打たない。何気なくやってしまわない事なんです。そして相手にしないことです。じれて取りに来れば隙ができるのでそうすれば攻めたらいいでしょう。相手が落とし穴を掘っているところに足を向ければ必ず落ちます。ゆとりを持たねば行けないでしょう。2試合目はなかなか大型の前衛で後衛もよく打つペアです。シーソーゲームでしたが、逆転で勝利。良かったです、これで負ければ1試合だけで帰らねばならないところでした。1-1の3番でこれは勝たねば・・というところ。新開選手のボールが厳しく、死に玉処理が殆どで4-1で勝利。3位入賞です。次は無法松、地元のチームですが、前の試合を見ていると厳しいですね。案の定1番が勝ち、福田・睦月ペアが負け3番勝負となりました。特に3番の後衛は若くボールも速いし小細工もライジングも打てるしサーブも速いです。焦らせば切れてくれるでしょうが、レシーブキープのシーソーゲームです。2-3から追いついてファイナルへ。少しポジションでプレッシャーをかけ2-0。これで断然有利なんですが、新開氏中ロブをミス。追っかけられそうになりやや逃げて外へ出したかな。セカンドなのでセンターへビシッと打てば良かったのですけど。次にレシーブを深く打ち、ここが勝負とストレートポーチ。予測よりゆるく高いボールをはたいてカスあたり、バックアウトで2-2。次のラリーを強烈に打ち込まれ2-3。最後のレシーブが少し大事に打ったのを逆襲されポイントされゲームセット。悔やまれる2本でした。今年もお互いに同じ過ちをやっています。春までに仕上げるように頑張ってみます。 とにかく3位でしたので良しとして帰ります。南九州も負けてしまいました。蔀さんに駅まで送っていただきました。わざわざ待っていただいて申し訳なかったです。今年は東西対抗で一緒です。頑張りましょう、と別れました。5月を楽しみにしています。北九州の皆さん、お世話になりました。有り難うございました。 2012.2.10 今日はやはり寒い日でした。15時頃外に出ましたが、外気温は7℃。ただ、寒さに体が慣れたのかまだ耐えられます。風が吹いていなかったのも大きいですね。 島根の渡部さんからTELありました。HPをいつも見ていただいています。3/31~4/1に安来で春一番ミズノカップ安来大会があります。山陰では大きな大会で一般からシニアまで広く中四国から人が集まります。何度もお誘いを受けているのですが、新開氏も丁度花見シーズンで休みも取れず、なかなか遠くまで行ってくれる人もいない上に次の日が大阪府の府民大会がありますので参加できていないのが実情です。その大会で東北支援のワッペンを販売協力いただけるとのことでした。有り難うございます。シニアの人達がこうして地元である大会に少しずつ広めていただければ、大きな輪となってこの運動が広まるのではないでしょうか?シニアになると皆多かれ少なかれ痛い目にも遭い、優しさにも触れ、どういったことが自分ではできるのかを分かっていらっしゃる。その力が日本を支え、若い人達に背中で語れるんじゃないでしょうか?今日も力を頂いた日でした。有り難うございます。 夕方早く帰ったので、食事をしながらTVをゆっくり見ていました。CATVでは映画専門の番組も多くあります。日本映画専門チャンネルで近日公開の映画紹介をやってましたが、「博士の愛した数式」という映画を偶然に見ることとなりました。この小説は数年前に話題となりました。私はブームになる前に書店で購入し読んだあとで映画化されると聞き、なるほどな・と思ったものです。若き数学者が交通事故で頭を打ち、自分の記憶が80分しか持たないのです。80分経てばまたリセットされてしまう。残っているのは事故にあった時間の手前までのものしかないのです。この悲劇は事故ならば仕方がないことです。しかし、当人にとって見れば事故だろうと何だろうと結果は同じなのです。この現象が、痴呆・認知症というかアルツハイマー病のものに酷似していることはお分かりと思います。80分経てばその前の記憶は無くなり、会話したことも見たことも感じたことも全てその人の体得したものにならないのです。同じ会話からはじまり同じ質問が繰り返され、同じ回答に苛立ってしまうのは周囲の人達、現在では我々に他ならないでしょう。そこをどう向き合っていくのか?どう耐えていくのか?そういった問いかけにもなっている、社会に一石を投じた小説であったという認識です。私にも今年88になる母がいます。しっかりしてはいるのですけど齢には勝てません。考えたりするのに時間がかかり、人の名前を思い出せないことや忘れてしまっていることもあります。電話などで話をすると咄嗟に想像力が追いついていかないのでしょう。時には私でさえ分からず混乱し狼狽する事もあります。そこを優しくゆっくりと待ってあげられればいいのですけど、なかなか我慢ができないのです。苛ついたり怒るとまではいかなくても、つい責めてしまうような嫌みめいたことをいってしまう自分が情けなく思います。映画を見て作られた世界の悲劇には自然に涙が滲むのに、一番大切なはずの人にはきつく当たってしまうのは何故でしょう。これから母だけでなく叔父や叔母も皆高齢化し、介護に我々は自然と向き合わねばならない時期が来ます。いやもうすぐそこまで私の場合は迫っているでしょう。これまで支えてくれた肉親達にささやかながらもお返しをしていかねばなりませんね。国会では年金・保険制度・消費税・・・など色んな問題を連日取り上げて議論して欲しいのですが、どうも真剣さが足りないというか、分かっていないというか、いつまで経っても党利党益かと選挙の票読みから離れられない人達が掃いて捨てるほどいます。彼らは一体何をしているのでしょう。人として自分の仕事を全うできなければ失格でしょうね。肩書きや経歴や名誉が欲しい人はたくさんいます。でもそれは何お役にも立ちません。それでも君たちはその下らない小さい社会の中での出来事が大事なんですか?国家は百年の計を論じたり悩んだりする人はもはやいない。そんな世の中がいつまで保つとも思えないです。 超高齢化社会の抱える問題と解決策、どれだけ金がかかってどこから捻出しなければならないか。そういった事の本質的な正確な議論がなされないのは情けないことです。子供でも分かるおかしな罵り合いがあの大国会で臆面もなくたたかわされる。おかしくって悲しくって涙が出ますよ。国会では審議をしないで、茶番劇をやっておいて、その裏では官僚達に今の制度下での仕事を着実にこなしてゆくようにさせている。国会が隠れ蓑になっているとしか思えないです。大切な法案はこそこそとどさくさに紛れて成立させるような手法をとっているのでは・・・ないでしょうね??? 2012.2.8 立春は過ぎたのに、今年の寒さは厳しいですね。春が早く来て欲しい。とりわけ今年はそう思っています。自然ももう少し考えてくれたらいいのに。。 2/5は今年の全日本インドア大会開催日でした。今年は、この会場で何とか関西の皆さんに、このワッペンの意義を考えていただきたいと思い、1日支援に徹してみようとしました。計画は今年の初めから立てて、先ずは新沼氏に話し了解を得ました。大きな大会でこのようなイベントをやることに彼も意欲をしめします。次に大阪府連盟に出向き趣旨説明です。副会長の谷尾氏にまず打診し、どうだろうかと話したところ・・良いことだからやったらいいと思う・・との回答。とりあえず、谷尾氏から阿部理事長に説明してもらい、次に直接電話をするという手順で進めました。谷尾氏から感触良いよ、理事長も乗り気!とのことで私から説明・・と思ったのですが、やはり電話では気持ちが伝わらないなと思い連盟事務所へ出向いて説明しました。理事長は・了解、午後から市立体育館で打合せがあるのでその時話す・と言われたのですが、ここがポイントであるなと感じ「一緒に説明させてもらった方が理事長の手間も省けるし気持ちも届くでしょう」と話したところ、OKとのことでした。普通は大事な打合せにいきなり突然の参入は失礼でしたが理事長の寛大さで助かりました。打合せに出向いてみると副理事長お二人は、相賀さんと宮本さんでした。良く存じ上げている方達ですので快く了承いただけました。その上場所の設定から前日の準備までやっていただき本当に感謝しています。これで会場の準備は整いました。次はワッペンの準備です。いくら売れるか分からないし、どれほどかも見当がつきません。でも100枚では足りないだろうし・・などと考えていると、実は中国で制作していて今春節だから発注したけど間に合うかどうか微妙・・とのメールが新沼氏より入り慌てました。国内の友人達の余っているところをとりあえずかき集めて、別口でやっているエムズさんのワッペンを準備し、更に新沼氏が第2弾として考えていたグリップテープを販売することで最悪は切り抜けようとしました。ただ、後に中国から「何とか間に合わせる」との連絡が入りホッとしたものです。さて、最後はスタッフです。一人では難しいなと思っていたので、八尾市の練習会で声をかけていました。そうしたところ五十嵐君、福田親子、住永親子、松島親子、堀内さん、そして途中に谷尾さんなどがやってきてくれて声掛けや販売を一日中手伝ってくれました。子どもたちは高校生二人、そして小学生です。1日は長いですが文句も言わずひたすらボランティアをやってくれました。有り難いことです。今日一日が、長い目で見て彼らの今後の人生に少しでも役に立ってくれたら嬉しいです。一日立っていたことで、多くの寄付いただいた方々と話ができたようです。その人達の思いは心に残っていると思います。500円のお金です。でも子供には大金で、大人には10円くらいの価値の人もいるでしょう。そういえばあの四国の何タラ製紙の社長は1億円が1万円といってましたね・・でも小さな子供が500円を持ってきて、パッと走り去っていく。伊田君の恩師のように部員の15枚分を買っていく人もいる。淀の水高校に来ている福島郡山出身の女の子がやってきて、この支援は福島に届けるんだよ、と言ったら「私も地元の富岡の子達に支援します!」とワッペンを買っていってくれました。1日の中でもドラマはあります。ワッペンに付いているおまけのラケットストラップの色の気に入るまで探す子もいる。東北の震災の支援だと言うと、支援したかったんだ!と言ってくれる人もいました。 私は今まで余りこういった活動を主体的にやったことがなかったのですけど、今回やってみて良かったなと思います。寄付をすることも大切ですし、その結果が大切なものなのです。気持ちだけでは人は救えません。ただ、寄付というのは善意で成り立っているのだと思います。そのお金には打算は無いのです。それは良く分かりました。だからこそ、早く確実に使うべき人に届けて欲しいのです。我々が震災直後に行った寄付金はいったいどうなったのでしょう??おにぎりに消えたかも知れません。ガソリンになったかもしれません。どうか健全な精神を健全な使い方で役立てて欲しいと思うのです。 最後に、私たちの寄付会場に足を運んで頂いた方々に本当に心から感謝いたします。私たちはこれからも小さいながらこの運動に誇りを持って活動を続けていきます。子どもたちが大人達が与えてくれる優しい心を繋いでいってくれるものと信じているのです。 2012.2.1 日本中大雪です。大阪は寒気が最高潮、皆肩をすぼめて小走りに駆け抜けます。東北では寒いだろうな・・あの仮設の作りでは暖房もすぐ逃げてしまうんじゃ無いかな・・と気をもんだりしたりします。 2012.1.25 このHPのトップページには昨年3月の東日本大震災への支援活動を積極的に行っていることを記載しています。それは、たまたま私が昨年の大震災前にお世話になった福島県いわき市、富岡町の方々へのお礼の意味もありますが、今はそれだけでなく人の助け合いが必要な世の中だと痛切に思うからでもあります。世の中は良いことばかりでなく色んな厄災が訪れます。その度に何かをしてあげたいとも思うのですけど、実際は何もできずそのうちに忘れ果て、また次の厄災が起き。。同じ事の繰り返しを何度重ねたことでしょう。全ての事に関わることはできません。ですが、やはり今回の件は私には避けて通れない事です。無条件に我々ソフトテニスのシニア団体のために会場の提供を頂き、過大なる歓迎を頂き有り難いことだと福島の人の温かさを感じたものです。そしてその後の人災といえる原発事故による終わり無き避難の状況は看過することのできないものです。天災だけなら仕方のない事・・と諦めねばならないこともあります。しかし、そうではありません。国の愚策、幼稚な政治家の蔓延、独占企業の利益追求と地方に金銭での優遇措置を講じての危険の押しつけ・・これはある意味ではそこに住んでいる住民への詐欺行為にも等しい事なのです。おそらく誘致の時にはその土地では大きな議論があり、反対賛成に二分されたことと思います。確かに経済支援は地方には魅力です。富岡町でソフトテニスの日韓交流親善大会が行われたのもその施設を利用したからです。安価に貸していただけるのはその原発恩恵があればこそなのでした。でも果たして・お前もその施設を利用したのだから、そんな批判的なことは言えないだろう・と同じ皿のものを食べれば同罪だという論理が成り立つでしょうか? 残念ながら政治圧力で心まで押さえつけられるほどヤワにはできていません。昨日も原発稼働再開・工事再開の動きに、近接の自治体がクレームをつけるという今まで無かった動きも出てきました。政治は明らかに遅まきながらやっとの事で本格的な民主主義に入ってきたのかも知れません。一部の特権階級や富裕階層、企業の経営者指向がそろそろ終焉を迎えても良い頃なのです。豪族から天皇支配、武士中央集権制から再び天皇を中心とする中央集権へ移行し、戦後は中央では巨大政党が全てのものを吸収し、これまた巨大な支援国家の庇護の元、独裁的な長期政権を確立し続けました。企業も殆ど全てが一国一城、官僚も巨大な組織を隠れ蓑にがんじがらめの難攻不落の城を築きあげたのです。今、その組織を壊そうとしても、一朝一夕にはいかないでしょう。政権の交代がもし次にあったとしても、お互いの無策を責め合うだけの茶番劇が続くであろう事は容易に想像できるのです。 そして復旧・復興は遅々として進まない。その間に問題は大きくなり、一年経てばその間のツケがまた回ってくるでしょう。そんな政府の支援を待ってはいられません。事件は机の上で起こっているのではない!現場では一瞬一瞬の判断が必要とされ、着実にこなしていかなければならない。でなければ何事も進まないからです。私たちは今できる些細な運動ですが、この被災地の子どもたちに希望と信頼を届ける1コイン運動を続けたいと思うのです。500円のワッペンですが、実際に支援できる金額は350円です。ですから小さな一人の500円ではきっと何もできないです。しかし昨年の11月までに150万円使用できるのは約100万円ですが、これなら何とかなりました。冬が来る前に数百着のウインドブレーカーを届けることができました。ソフトテニスの公認の立派なメーカー品ではありません。でもそれを”とても嬉しい、有り難う!”という送られてきた感謝の寄せ書きや子どもたちの柔らかい笑顔の写真を見ると、思わずホッとして涙が出そうになってしまいます。良かった。この子達が、大人達は自分たちを見つめていてくれるんだという気持ちを持ってくれて、大人になったときやはり困った事があれば、いつか自分たちがしてもらったように、ささやかでも心を繋ぐんだという気持ちを持ってくれたら・・それだけで良いんです。 今年の全日本インドアで、私は1日ボランティアをします。多くのソフトテニスの仲間達が集まるこの会場で、1コイン運動をすることができるようになりました。大阪府連盟の役員の皆さんのご理解とご協力で、正面玄関を入ったところ、パンフレット販売の横にブースを設けることになりました。是非とも皆様の暖かいお心を頂きたいと思います。どうぞお声掛けを下さい。宜しくお願いします。 2012.1.22 西脇でへそオープンが開催されました。5回目となり次第に多くの人々が各地から集まります。兵庫県から最近では奈良、京都も参加者がおられます。賞品は播州の美味しいお米です。この大会は唯一家族から絶賛される試合でもあります(もちろん勝てば)人数が多くコートが前日の雨の影響でクレーは使えなく、急遽オムニに代わりましたが面数が少なくローカルルールが用いられました。1ゲーム4ポイント先取で3-3からもデュース無し、ファイナルは4ポイント先取、3-3からのデュースあり。ポイント数が決まっているので淡々とサクサクと試合が消化されます。やっている方は大変で、1ポイントの重みがあります。2-2や2-3からの1ポイントの重要さ、緊張感がいつもあります。そうしてみると通常のルールはなんて余裕があるのだろうと思ってしまいます。ルールは何でもいいのでしょう。約束事があって、それが本質的なものでないなら致命的なものでない限り、ローカルルールの採用は良いかもしれません。今のルールでは軽んじられていること・あまりにも漠然とやっているため希薄になっている大切なことなどが見えてくることなどもあるものなんですね。 2012.1.15 昨日今日と大変寒い1日でした。センター試験の日は毎年雪が降るのです。大阪では幸い雪は降りませんでしたが、寒いことには変わりがありません。でもソフトテニスを愛好する人達は寒さはあまり気にもならないようです。奈良でも八尾でも大勢の方々がコートに顔を出してボールに触り楽しそうに競技をします。今日などは13時からの練習日なのですが、開始時刻にははや20名くらいの人々が今か今かと時間が来るのを待ちかまえているのです。思えば人が集まらなくて苦労した時期もありました。私が事業部をやっていた頃、今の場所と違い宮町コートの頃は、冬になると練習人員が激減しました。大勢で練習できるようにと2面をいつも確保していましたが、2-3人しか来ないこともありました。現在の東山理事長といつも二人でラリーをやり疲れ果てるのでした。当時はまだ我々も一般男子で体力はありましたが、それでも雪の舞う中これでもか!と二人だけで何日もコートの番をしたことを思いだし、随分と今は変わったものだと感心するばかりです。 2012.1.9 3連休の真ん中の日曜日、風も少なく曇りがちの天気の中で初打ち紅白戦が行われました。この行事はどこのクラブでも年頭には何らかの儀式を行っておられるでしょうが、その中の当クラブの年始式です。ただ、開かれたクラブであるという我々の主義に則り、参加者はどなたでもOKで性別年齢も無関係に参加していただけます。参加者は\1,000/1名のお年玉福袋を持参してもらいます。紅白の勝ち組、勝率の良い順にくじの抽選をひき前もってナンバリングされている福袋をもらいます。これも今年の運試し、実力で勝った人が必ずしもいい賞品にありつけるとは限りません。中には結構良い品物もあるのですよ。50名近くの小学1年生からシニア70までの老若男女が一年の初めに笑いながら、でもやっぱり時折勝負師の顔を見せて初打ちをするのは良いものだなと改めて感じるものです。結果は16-12で紅白歌合戦とは違い白組勝利で終わりました。 色んな人たちが来てくれるのですけど、大学生の四方(しかた)さんが東大阪から参加してくれました。彼は今年岩崎君とペアを組んで大阪の試合にも出てくれましたが話をするのは初めてです。家は兵庫県の西脇の近くということで、卒業後は地元で自分の町の新しいクラブを復活させたいと言っています。人が多く集まる、楽しくまた勝負事にも真剣な人の集まりを目指したいとのことです。良い考えですしゼロからのスタートですから自由にできるし何とでもなるのがいいとこですね。ただ継続は難しいのです。仲間が必要です。同じ様な思いを持ってずっと長くやってくれる人がたくさんいると良いクラブになっていくでしょう。そしてクラブは生きています。志を持った人達が次の世代にうまくボールを渡していけるようにしておく環境をつくり、ある時期に渡していくことが大切だと思います。一年草のようなクラブが沢山あります。一世代を華々しく彩ったけれどもいつの間にか無くなってしまうのは寂しいことです。組織も人の成長と同じで、慈しんで育てなければ、見守っていかなければ衰弱してしまうものです。どうすればもっと明るく楽しくそれでいてテニスの本質に真剣であり続けられるのか・・ずっと考えていきたいものです。 四方さんには4月から地元での活動に密かに応援するものです。やがてはクラブ同志で交流ができれば良いですね。 2012.1.6 今日は暦の上で小寒です。寒の入りと言った方が分かりやすいのでしょうか。立春までの期間が一年中でもっとも寒い季節です。気温は最低0℃付近、最高10℃付近が大阪のこの時期の平均的なものでしょう。暖かいものです。少し離れると霜も降りるのですけど、私の家の付近ではまず、広い田畑でない限りは降りません。車の窓ガラスも殆ど凍ることはないですが、ここ2-3日はさすがに凍てついてましたね。寒の入りを体感したものです。 でも春はそこまでやってきていて、正月の間にいくつかの次年度(4月以降)の行事予定が決まりつつあります。1月もいくつかインドアも含めるとありますが、一つだけにして失礼ながらお断りしたものもあります。昨年の反省から、余りスタートダッシュが早すぎると大切な試合に自分の調子をピークに持っていくことができないことを実感しましたし、回復するのにどれくらいの時間が必要なのかも分かりました。そういった意味で昨年出た試合数と行事数を考え、適正試合数を今年は出場しようと決めています。ではどの数が適正なんだといわれると、それは困ります。きっと人によって試合に対する考え方が違うので、人に応じた数を選定すればいいのではないでしょうか。私の場合は、どちらかというと試合に多く出て自分の動きやタイミング、相手との駆け引きなどをそこで調整するタイプなので、できるだけ多くの試合に出るようにしてきました。ペアの後衛はある程度まではどなたでも良いです。前衛は自分のタイミングを取るのには相手後衛とのリズムが大事ですから、自分の後衛のボールを打つリズムが分かればさほど難しいことではありません。シュートボール主体の後衛と組もうとロブ主体の後衛と組もうとあまり関係ないのです。いつも組んでいる後衛でないと分からないというのは1,2ゲームまでのことで、それ以降は前衛が後衛の配球に合わせることができなければ試合にならないでしょう。何故なら試合の展開を考えていくのは後衛ですから、その配球と組み立てに必死なはずです。自分の前衛の力が分からなくても結局は自分の持っているテニスの勝ちパターンを組み立てるしかないのです。そうでなければ一発勝負で前衛を狙って対戦ゲームをやるだけです。でもそんなことが通用するほどシニアの前後衛は甘くないですからね。前衛は2ゲームくらいの間に、後衛のラリー力や精神力・・気の強さ弱さ、ポイントの時の何をするかの傾向を判断して動くことが必要なんです。いつも組んでいる後衛だって同じことで今日の調子・いやこの試合の調子はどうかを見極めて動かねばなりません。前衛も後衛も水物で、前の試合が当たっているからといって次の試合は全くダメということが多いのです。休憩時間の過ごし方もありますし、その試合にかける意気込みなども関係しますし、その日の体調の良さなども関係しています。後衛ももちろん2ゲームくらいの間に今日の前衛の調子を見極めなくてはならないでしょう。レシーブが入らないとか、フォアボレーは良いけどバックボレーが見えていないとか・・利き目があるから当然なのですよ・でも結構分かっていないのですよね。利き目がどちらかによって得意不得意の方向が決まるということが分かっていない人が多いのですけどね。 試合に出るのは後衛さんのタイプはどんなでも良いですけど、ただ試合に勝てる(優勝)ということは難しいです。細かい阿吽の呼吸とか、センターボールをどちらが処理するとか、どこを主体に守っているとか、そういったことが準決勝以上の試合では必要とされますから、いつも組んでいるペアでないと厳しい面もあります。それがペアというモンでしょう。うまい人二人組んでいるからといっていつでも勝てるものではないといったことがテニスの面白さでもあります。 とにかく今年は、大切な試合の前の調整をうまくコントロールして自分の調子を絶好調に持っていくことで近畿・西・全日本の試合は頑張りたいと思います。 2012.1.5 新年あけましておめでとうございます。2011年は自然の強さを見せつけられた一年でした。人が作り上げた知の結晶も大地の貧乏揺すりにはなすすべもなく破壊され、コントロールできない火を世界にばらまいてしまい、住むことのできない区域を作り出してしまいました。まさに猿の惑星の1話ラストシーンでその惑星には立ち入り禁止区域があり過去からの言い伝えで誰も足を踏み入れなかったところに主人公が入り、岬を回るとそこにはUSAの象徴である自由の女神が傾いて立っていた・・そうだ、やはりここは地球なのだ・・と悟る、これを想いだすものでした。当時はまだSFの世界の話しでした。未来への警鐘というSFの根底に流れる一貫した大動脈を私は見てはいなかったのです。同じように日本沈没のラストシーン、ヤーポン達は日本を失い初めて自分の当たり前に所有していたものの大切さに気がつくのです。 彼らは人類に問うているのです。皆がそのSFの虜になったことは間違いありません。猿の惑星では宇宙球体説、日本沈没では大陸移動説やマントル対流の話が世間で話題となり、その理解に必死でした。私も大学の2-3年生の頃、今は群馬大学の教養部教授の相澤先生の下宿にお邪魔して一晩中、地球化学から見たその理論の話を夢中になってお聞きしたものでした。 当時は化学の見地からの興味でした。でも実はその時、ユダヤの人達は結局、政治的権力的宗教的にの違いはあるけどこれと同じように国をなくし彷徨わざるを得なかった。その思いは我々の想像を絶するものであったのだろうと・・考えたものでした。何年か後、三宅島の大噴火と亜硫酸ガスの充満で離島勧告が出て全員が避難することがありました。その時も同じことを思いました。今回の原発事故によるものと違い自然の猛威ですが、それでも結果は同じことです。基盤の土地を失ってしまったことには変わりありません。ただ一つ言えることは、それでも人は生きていかなくてはならないということです。何とかして必死で生きています。我々は少しでもお手伝いしたいのですけど、本当にささやかなことしかできないのだとやってみると思うものです。感じるものです。 すぐ脱線しそうになります。この二つのSFは2011年の東日本大震災を恐ろしいまでに予言していました。そして警鐘を鳴らし続けていたのです。ただ我々が無関心であった。SFの世界の悲観的な部分を強調した物語・としか見ていなかった。人間は馬鹿なものです。自分に危険が及ぶまで決して感じることがない、知識はあっても認識することができない、そして全てを認識しても自分の社会的な立場のために動くことができない。破局したあとに、・・自分は分かっていたのに上の人が、政府が何もしないから悪いんだ・・というのです。人間は社会的な動物である・・といった学者がいます。その通りです。しかし、社会を作るのも、支えるのも、また創り変えるのも・やはり人間なのです。我々は色んなことを考えて今回の原発事故から将来を決めなければなりません。皆さんはどう思うでしょう。①全てを白紙撤回し、原発は廃炉にして全く異なったエネルギーを探索することに国家を挙げて取り組む。そのためには産業の停滞衰退、国民への痛みは増加しても仕方がない。今の生活のレベルがダウンしても安全を選ぶ②原発はエネルギーの何分の一かを占めていて、これを停止すると日本のエネルギーは絶対的に不足するので産業の衰退を招き、更に当面天然ガス、石油に依存しているためエネルギーの供給不安と物価の上昇は免れない。更に国力の低下は、今は周囲の対外的な脅威が増加している中絶対に避けなければならないことであり、原子力の安全性を高めるインフラ整備に注力して原子力政策は進めるべきである。 いずれかを選択しないと行けないのでしょうね。安全か国益か?両立させることはできないのでしょうか。 2011.12.29 昨日で仕事納となり、今日は一日買い物をしたり正月前に洗車をしたり、冬の雪道に備えてチェーンを購入したりと割と多忙な日でした。年末という感じがずっとしていなかったのですが今年はゆったりとしているせいか年の瀬を感じます。ただ、風情が失われつつあるので目に見えるものは年末ではないのですけど。 私はしかしクリスマスが何だか知らないけれど街はざわついた中で・生活に緊張感のある中でやって来ているのをいつも感じていましたし、そのあとから大晦日までの間は皆が一年を締めくくり息災であれと願い、なんとか来年に繋ぐようにしているような慎重な安堵感を体に受けてきました。そういった意味では日本人は大まかにはその季節感を大切にして過ごしているのだと思うのです。ブツブツと言いながらも交通渋滞に怒りながらもふるさとへと向かい、何もしないで炬燵と友好を深めながら貴重な休暇を費やし、欠伸をしながら新年には都会に渋滞に文句を言いながら帰っていく。これが何年続いていることでしょう。文句を言うならやらなければいい。その通りなんですが、そうもいかない事情も深いのでしょうね。 さて今年は特別な年でした。東北で起こった地震や津波が私に直接の影響を及ぼしはしませんでした。しかし巡り巡って余波が押し寄せ、深く関わっていくこととなりました。それはなんの義務もないことですし、神戸にくれべれば知らない世界の出来事です。でも神戸より事態は深刻です。きっと人災の原子力発電所の事故の問題があるからでしょう。これに私はやはり関わるべきなのでしょう。生かされた私がやらねばならないことはきっと何かをやり遂げなければならない宿命が何かにあるからなのでしょう。 2011.12.19 朝から少し寒いはずです、山間の朝は冷え込みます。昨晩は湯の山温泉に泊まりました。ここはひなびた・・というと土地の人に怒られるかも知れませんが、歓楽街などない山の坂道をの両側に所狭しとホテルが建っています。1300年くらい歴史があるとのことで由緒正しい温泉のはずですが、逆に再開発が遅れてしまっている印象です。ただ都会化されてしまっている温泉よりも、静かでのんびりと楽しみたいという方にはお勧めかも知れませんね。ホテルの屋上に出ると、御在所岳が前日の雪を残し、まだ紅葉の名残の山肌とに朝日が映えて綺麗です。人の気が感じられないピンと張り詰めた風景に寒の美を見つけました。イノシシ達が遊びに来るというホテルの裏庭はなるほどの風情がありました。 四日市ドームまで40分くらいと踏んでいたのですが、途中で朝食を買い込んだり、ゆっくり走っていたせいで到着したのは8時半をとうに過ぎていました。少し準備が遅れましたが、早速練習です。何となく昨日の練習が少しやりすぎたと思っていましたが、やや重い・・こんなことで良いかな?と思いましたが。。 試合は1試合目から、トヨタ自動車・アカエムの谷山・坂本ペアです。ラリーをやっている様子ではまあこんなものかな・・と思いましたが、攻撃的でセンターをどしどし攻めてくる後衛です。それはあまり気にならないのですけど、なんとなく受けてしまうのが嫌でした。気持ちが受けている・・と感じたのは4ゲーム目位でしょうか?どのゲームもポイントは握ったりジュースまでは行っているのですけど押しきれない。今年のテニスそのままです。試合ごとに反省点が十分出ているのに改善されていない。それは上を見て一心不乱に進んでいった頃とは少し様子が違います。なんとかなるかも・・といった根拠のない期待感が少しでも心に生まれたとき、進歩も休息を迎えます。あくまでも道を拓く者ならば、孤高でなくてはならないでしょう。100の言葉よりも1つの確実な事実が欲しいのです。我々は不甲斐なくも1試合目で敗れました。それは敗れるべくして敗れたといっていいものでした。次を考えていればいいのですけれど。 2011.12.18 昨日、本日と名古屋から四日市に行ってきました。四日市ドームでミズノカップが開催され、今年は大阪から3ペア、成年で奈良から1ペアが参加しました。かねてから愛知ウィングクラブの大川さんと練習を一緒にやりましょうと話していたのですけど、お互い多くの試合に出るためスケジュールが合わず、今日まで至っていました。この試合の前日に名古屋で練習しませんかとのお誘いに丁度良い機会と参加させていただきました。そしてそこで驚くべき出会いがありました。元アカエムクラブの小橋さんにお会いしたのです。大川さんのお知り合いで時々ウィングクラブにお顔を出されるとのこと。前回の合宿で、小橋さんに声をかけておきますと大川さんの奥さんから話しがありましたが、まさかと思っていたのです。思い起こせばもう何年前になるのでしょう。私が東京インドアを大学一年の冬に見に行ったのですが、その時印象に残ったのがこの小橋さんと木口・横江ペアでした。小橋さんは以前にも書きましたがストロークが素晴らしく東京インドアでのバックハンドの華麗さは今でも目に焼き付いています。鋭く切れ味鋭くコーナーを突く球筋を今でも思い起こせます。また、フォアバック共に切れ味鋭いボレーを何の苦もなく決められました。1973年1月のことでした。特にそのストロークと横江さんの運動能力をフル回転させたボレー、特にバックハンドのリーチの広さと華麗さ。スマッシュのどこまで追うんだ?という破壊力と正確さ。このお二方の各プレーは今でも網膜の印刷物としてしっかりと残っているのです。お顔を拝見し話しをするのは初めてなので、何から話そうかと思っていましたが、東京インドアのことやショウワコーポレーションの話しなどしている内にあっという間に時間が過ぎます。ご出身は丸亀高校で関学となると、小早川さんの先輩ですか・・ということで・よく知ってるよ!彼の学生時代に僕が監督をしていた・と世間は狭いですね。先日丸亀でお会いした多田さんなどの話しをしていると益々近いものを感じます。お話をしている内に前衛の心構えみたいな話しになりました。小橋さんは・元来前衛というものは後衛を働かせられなければ良い前衛とは言えないんだ・と言われます。・要所を締めるまでは、後衛が苦しくならないようにポジションを取っていれば良いんだ、そうすれば取れるんだよ・と。驚きました、と言うほどでなく当たり前のことなんですが、私の常に言っていること、やっていることを口に出して言われると妙に納得すると同時に安心してしまいました。間違っていなかったんだ、この僕がやってきたことはこの偉大な先輩もやっておられたことなんだと。。僕はこれからも今やっているテニスの完成を目指して頑張ってみます。勇気が湧いてきました。 そのうち新開さんもやってきて練習が始まりました。新開さんは仕事が忙しく、余り練習できていないせいかどしどし試合をしたい感じです。僕はリラックスしてテニスすれば良いのではないかと思いますが、彼はフル回転です。・・明日にその調子をとっといてよ・・と頼みましたが、ビシビシ行くのです。もう放って起きます。結局3試合やって帰りました。